「ダメな子なんていない」 by 手塚治虫
■おはようございます。紀藤です。
本日は、新人研修ディスカバリーのプログラム説明会。
だんだんと来年の計画を立てる企業様も増えてきました。
お越し頂ける皆さま、お気をつけてお越しくださいね。
■さて、本日は、かの手塚治虫さんが
晩年に言われていた言葉を一つご紹介します。
当たり前のことですが、
忘れがちな大切なことだな、と感じましたので、
ご共有までに。
“ダメな子”とか、“わるい子”なんて子どもは、ひとりだっていないのです。
もし、そんなレッテルのついた子どもがいるとしたら、
それはもう、
「その子たちをそんなふうに見ることしかできない大人たちの精神が貧しいのだ」
ときっぱり言うことができるとおもいます。
一見、大人の目から見てダメに見える子どもの中にも、
大人に眼力がないために埋もれたままになっている何かが必ずあるはずです。
ひとりひとりの子どもたちの、内部に眠っている
宝のような何かに届く大人の眼差しがいま、求められているのではないでしょうか。
子どもたちは他者を傷つけ、自分たちも満身創痍になりながら、救いを求めているのだと思われてなりません。
その叫び声は、何だか地球の悲鳴と重なって聞こえてくるような気さえしています。
子どもたちが、大きな夢を、しっかりと地球の大地を踏みしめて、
宇宙へとはばたかせることができるように、
ぼくたち大人は力をふりしぼらなければなりません。
「ガラスの地球を救え」
手塚治虫 著
■子供に夢を与え続けた手塚治虫らしいお話です。
「ダメな子なんていない」
「その子たちをそんなふうに見ることしかできない大人たちの精神が貧しいのだ」
というくだりが特に響きました。
そしてこれは、大人対子どもだけでなく、
あらゆることに通ずる話のように感じます。
何を見ても、誰と話しても否定的な側面から見ようとする人もいれば、
何を見ても、誰と話しても肯定的な側面から見ようとする人もいます。
じゃあ事実はどっちなの?
と考えてみると、結局、
”それを判断する人の「メガネ」(ものの見方)次第”
となるようです。
(この「メガメ」のことを「7つの習慣」では”パラダイム”といいます)
■同じ世界に生きているわけですが、
せっかくであれば、
「ダメなやつばかり、イヤな人ばかり」
と思うよりも、
「皆できるはず、良い人もいる」
というメガネで生きた方が気持ちよさそうです。
パラダイムは意識的に変えられる、と言います。
もし自分を振り返って不都合なものがあれば、
違う見方を心がけてみよう、とするのも
効果的かもしれませんね。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
今日が皆様にとって、素晴らしい一日になりますように。