地味で、当たり前なことの価値
■おはようございます。紀藤です。
先日、ある小さいお子さんを持つ
お母さんとお話をしていたときのお話です。
「大人になると、
昔は当たり前としていたことが
意外とできていないものですよね」
とその方はおっしゃいました。
例えば、親が子供に大事だと教える
「おはよう」
「ごめんね」
「ありがとう」
などの挨拶や、
「困った人は助けてあげましょう」
「仲間外れはダメだよ」
という人間関係についての心構えもそうでしょう。
大人になると、こういったことは、
敢えて「やりましょう」などとは誰も言いませんが、
意外と出来ていない大人は多いのかもしれません。
子供に大切だというような、
『些細な当たり前なこと』ほど、
実は、すごく大切なことなのだろうな、
と改めて感じました。
■このことに通ずる話で、
ある本で、こんなお話が紹介されていました。
人がお互いのためにできる最善のこととは、
さりげないことなのかもしれません。
毎日の生活を共にしていく中で、
思わず唇に微笑みをもたらしてくれるようなささやかなこと、
元気づけてくれるさりげないことが最高のプレゼントです。
良いことというのは、
ときには、常識的で礼儀正しさだったり、
思いやりのある行動であったりもします。
時には、ほんのささやかなことが非常に大きな違いを生み出すのです。
ですから、
新聞売り場のおばさんに微笑みを投げかけてください。
会社の建物の中に荷物を運び入れている人がいたら、
手を貸してあげてください。
打合せが終わったら、一番に立ち上がって
椅子を片づける人になってください。
誰もそのことに気づかないかもしれません。
気がついても、誰もそれを覚えていないかもしれません。
しかし、そういうささやかなことでも積もり積もって、
他の人の人生を幸せにするのに役立つのです。
それが良いことだというただそれだけを理由にして、
良いことをしてください。
「それでもなお、人を愛しなさい」
ケント・M. キース著
早川書房より
■「7つの習慣」では、
人生を効果的にするためには、
【”影響の輪(自分ができること)”に集中する】
ことが大切である、と言います。
(第一の習慣 主体的である、より)
「”影響の輪”に集中」などと改めて言うと、
何だか大がかりなことのように聞こえますが、
実は上のお話にあるような、
「さり気ない親切」だったり、
「毎日の元気な挨拶」などが
その行動の例として挙げられるようです。
■私たちが出来る日々のことは、
満塁ホームランのような
スペシャルなことではなく、
殆どの場合が、
誰も見ているか見ていないか
わからない地味な小さな行動なのだと思います。
でも、そういった行動は、
見ている人は見ていて、
水面に落ちた水滴のように、
小さな波紋を作って、
少しずつ周りに伝播していくようにも思います。
「さりげない、当たり前のことこそ大切」
私自身、まだまだ出来ていないなあ、という自戒をこめて。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
今日が皆様にとって、素晴らしい一日になりますように。