373号
2014年9月10日
「長生き」なのか?「長く有った」のか?
■おはようございます。紀藤です。
錦織選手、あと一歩で
優勝を逃してしまったのは残念でしたが
日本とアジアの歴史に新しいページを加えてくれました。
ぜひ次こそは優勝を!
これからが楽しみですね。
■さて、今日のお話は
”「長生き」なのか?「長く有った」のか?”
というお話。
興味深い内容でしたのでご紹介させて頂きます。
セネカによれば、
普通の意味で、時間的に長く生きた人を「長生き」というのではない。
単に時間的に長生きしたというのは、
「長く生きたのではなく、長く有ったにすぎない」というわけだ。
そして、
「生きる」ことと「有る」ことの違いを
「航海」にたとえている。
「例えばある人が港を出るや否や激しい嵐に襲われて、
あちらこちらへと押し流され、
・・・風向きの変化によって、
同じ海域をぐるぐる引き回されていたのであれば、
それをもって長い航海をしたのではなく、
長く翻弄(ほんろう)されたのである」
「賢人は人生を教えてくれる」
渡部昇一 著/致知出版社より
■「7つの習慣」では、
”第二の習慣 終わりを思い描くことから始める”
において「個人のミッションステートメント」を持つことが、
効果性の高い人生のために重要である、と言います。
先ほどのように、
人生を「航海」に例えるならば、
”新しい大陸を発見する”
とか
”海賊王になる(「ワンピース」より)”
など、自分なりの目的地やゴール地点を決めたほうが、
より充実した航海になるのかもしれませんね。
今日も最後までお読み頂き、ありがとうございます。
今日が皆様にとって、素晴らしい一日になりますように。