努力論
■おはようございます。紀藤です。
相変わらず、暑い毎日ですね。
私達の会社は8月末が年度末。
最後の追い込みということで、
こちらも暑く燃えております。
■さて、本日はちょっとアツいお話のご紹介です。
テーマは「努力」について。
『努力論』
自分はこんなに頑張っているのに
どうして誰も認めてくれないのだろうと嘆いているようでは、
いつまで経ってもその先に進むことはできない。
誰も認めてくれないこと自体が
努力不足の何よりの証拠なのである。
本当に努力をしている人は、
天知る、地知るで、早晩かならず人目に留まる。
人に認められないことがつらいなら、
認められるまで努力をすればいいだけの話だ。
「努力論」斎藤 兆史 著より
■「頑張っているのに認められない」
「がんばっているのに結果がでない」。
このようなことは、
現実の社会ではよく起こることだと思います。
そしてそんな状況に置かれると、
そのことに対して、寂しい気持ちも重なって、
「環境が悪い」
「認めてくれない上司が悪い」
というように、
愚痴を言いたくなる気持ちが起こるのも、
よくある話だと思います。
■しかしながら、
愚痴を言ったからといって、結果が上がるわけでもないし、
周りが認めてくれるわけでもないことを、
誰もがどこかでわかっています。
であるならば、結局は
【自分が出来ること(もっと努力すること)に集中するしかない】
という話になるのでしょう。
そのことを、先に紹介した「努力論」では、
非常に端的にお伝えしています。
■「7つの習慣」においても、
”第一の習慣 主体的である”において、
主体的に動き、自らの成功を勝ち取る人は、
【”影響の輪”に集中をする】
といいます。
これは、
『自分が影響を与えられない”関心の輪”』(例/取り巻く環境、社会情勢、天気など)
にエネルギーを注ぐのではなく、
『自分が影響を与えられる”影響の輪”』(例/努力すること、意見を主張する、など)
にエネルギーを注ぐことによって、
自らの影響力を高めていくことができる、という考え方です。
■愚痴をいう事も出来るし、
それに負けじと、もっとアツく頑張ることもできる。
選択は自分次第ですが、
自分が変えられることにエネルギーを注いで、頑張り、
それによって結果と評価を生み出す人に、私自身はなりたいものだな、
と改めて思った次第です。