自分の不幸を嘆いている男の話
■おはようございます。紀藤です。
お盆で町もお休みモードな感じの今日この頃。
休まれている方、そうでない方
色々いらっしゃるかと思いますが、
今日も楽しく、がんばりましょう。
■さて、さっそくですが今日のお話です。
少し長いのでお時間があるときにどうぞ。
ある村に、毎日のように自分の不幸を嘆いている男がいた。
男の言い分はこうだ。
「オレの家は狭いうえに、子どもが四人もいて、おまけに女房が太っているので、
自分は毎日立って寝なければならない。
ひどい話しじゃないか。
こんな狭い家に住むオレほどこの世で不幸な人間はいないだろうよ」
この不満を聞いたヘブライの王は、男にこう命令した。
「おまえのその狭い家の中で、ニワトリを10羽飼いなさい」
王の命令に嫌々従った男は、こう不満を申し立てた。
「女房と子どもだけでも足の踏み場もないのに、
ニワトリ10羽をそこで飼っていたら、私は糞にまみれて寝よと言うのですか。
前よりも不幸になりましたよ」
これを聞いたヘブライの王は、さらにこう命じた。
「それでは、ニワトリ10羽に加えて、羊を10匹家の中で飼いなさい」
男は王の命令だから従ったが、国中の人間に向かって、
自分は王の命令のおかげで、世界で一番不幸な目に遭っていると、言い回った。
しばらくして、やっと王は
「ニワトリ10羽と羊10匹は、家の外で飼ってよい」
と命令を変えてくれた。
次の日、男は王のもとに、感謝の品々を持って駆けつけて、こう言った。
「私は大変幸せな男です。
今や、私の家には家内と子ども四人、広々と暮らせるようになりました。
ありがとうございます」
「ユダヤ人の成功哲学“タルムード”金言集」
石角 完爾 著より
■この話を聞いて思い出したのが、
私が以前、飲食店に勤めていたときのこと、
そしてそれを辞めて次の仕事をしたときのことです。
飲食店はすべからく、
労働時間が長く、10年以上も前の当時は、
今よりももっと労働環境は大変なことが当たり前でした。
ですから、1か月に2日間のお休みとか、
1日20時間労働、などという時も
そんなに珍しくなかったわけです。
(今そんなことをやったら「ブラック」と叩かれてしまいますが汗)
ですから、当時は万が一、連休など取れた日は、
それだけで天にも昇るほど嬉しいことでした。
「2連休もとれて、今日は最高に幸せだ」と。
別の仕事に移ってしばらくも、同じような感覚が続きました。
朝から夕方までの仕事で、家に帰れる。
規則正しく眠れる。
これだけで、不思議なことに
十分幸せを感じていたわけです。
■しかしながら、
それが当たり前になると、
当時のそんな気持ちは、どんどん忘れてしまいます。
そして、それは意識をしていないと、
誰しもに起こりがちなことではないか、
と思うのです。
ひとたび、何かが当たり前になると
「もっとあれもほしい」
「もっとこれもほしい」
「あれが足りない」
「これも足りない」
と、”今あるもののありがたみ”を
ともすると忘れがちになってしまうのかもしれません。
■結局、何をもって「幸せ」とするかは、
私たちの”物の見方(パラダイム)”次第。
であるならば、
ないものを数えてしまうより、
”自分が持つものを考えられるような思考習慣”
がついた方が、
より幸せを感じる機会も増えるのだろうな、
と改めて感じた次第です。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日も素晴らしい1日になりますように。