「バレンタインデー」における”モテない男の学習性無力感”から学ぶこと
(本日のお話 2238文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日も引き続き、
ギャロップ社主催の、
『さあ、才能に目覚めよう』の
ストレングス・ファインダーの
コーチング資格取得コースの5日目でした。
5日間、ガッツリ学んだのは、
久しぶりですが、これからの私の活動にも、
大きく影響してきそうです。
「強み」とは何か。
どうやって活かすのか。
仕事やキャリア、
モチベーションにどのように影響しているのか。
などなどについては、
また追って小出しにしていきたいと思います。
(ちょっと、脳を休めます)
また研修が終わった午後からは社内でのミーティング。
そして、夜は深く関わってきた
「サムライ塾」という私塾の仲間と打ち合わせなど。
*
さて、本日のお話です。
話は変わりますが、
昨日は2月14日、バレンタインデーでしたね。
世の中の男性、女性の間で、
色々なドラマ(?)が生まれたのかも知れません。
そんな中、ふと自分自身の”思考習慣”について、
気がつくことがありました。
そして、結構大切な話ではないかと思いましたので、
皆様にぜひ、ご共有させて頂きたいと思います。
タイトルは、
【「バレンタインデー」における”モテない男の学習性無力感”から学ぶこと】
それでは、どうぞ。
■昨日のバレンタインデーでしたね。
男性の皆様、チョコレートを
貰った方もいれば、そうでない方もいたり、
女性の皆様でも、チョコレートを
準備された方もいれば、そうでない方もいたのでしょう。
特に正解はないですし、
まあ、一つのイベントなので、
どうしようが自由なのだろう、
と思います。
■なんて、いいつつ、
昨日のバレンタインデー。
私(紀藤)は、そもそも
「今日がバレンタインデーであること」、
その存在すら頭に浮かびませんでした。
しかし、会社に行った時、
心優しき女性社員の皆様一同から、
メッセージが入ったクッキーを頂き、
(あっ、そういえば今日はバレンタインデーだったんだ)
と思い出したのでした。
■このとき、はたと思ったのでした。
それは、
「バレンタインデーは、私(紀藤)にとって、
いつから”何も変わらない1日”になったのだろう?」
という疑問でした。
*
思うのですが、バレンタインデーとは、
同じ1日であっても、人によって、
全く違う日になるのでしょう。
想像してみたのですが、
恐らく、モテてる人にとっては
「毎年、チョコレートが集まる日」
が”習慣化”しているわけですから、
朝から、その心づもりで、出社したり、
学生であれば、学校に行ったりするのでしょう。
もしかすると、”もらうこと”を前提に、
・その日の服を決めたり
・その日のカバンを決めたり(容量が大きめのもの)
ということもあるのかもしれません。
*
しかし、対象的に、
モテない人にとってはどうか。
それは、
「特に何もない1日」
でしかなく、ただ過ぎゆく、
カレンダーの中の1日でしかありません。
(だって、チョコレートを貰えるわけでもないから)
■そして、そんなことを考えていたとき、
私(紀藤)が、
「そもそもバレンタインデーという存在が、
”頭の中”に浮かんでさえこなかった」
という事実を持って、
”いく歳月の中、自分が2月14日という日を、
「いつもと変わらない1日」を過ごしてきたのか”
(=モテない歴史を歩んできたのか)
ということを、
図らずも、思い知ることになり、
なんとなーく物悲しい気持ちになったのでした。
■そして、
「同じ1日だけれども、
人によって、違う意味を持つ」
ということ。
このことを考えた時に、
その理由を考えてみたとき
ふと、ある言葉を思い出したのでした。
それが、
【学習性無力感】
というもの。
これは、
”何度も失敗を繰り返すと、
「自分はできない」ということを学習し、
チャレンジしなくなる”
という話です。
イメージで言えば、【カマスの悲劇】という話ですね。
*
これをバレンタインデーの
モテない男の思考に当てはめると、
・バレンタインデーに、チョコレートを期待する。
↓
・しかし、何もない。
↓
・ちょっと傷つく
↓
・傷つくのは不快。だから、
そもそも何も期待しなくなる(=学習性無力感)
と、なるの(かも)しれません。
■面白いもので、こういった
【学習性無力感】
というものは、
刻まれた”思考習慣”みたいなもの。
だから、自分では普段意識することはないのです。
しかし、パソコンのCPUのように、
見えなくとも確実にその回路は動いていて、
私達の日常に影響を与えているのでしょう。
*
私(紀藤)がバレンタインデーを、
「そもそも何もない日」に仕立て上げたのは、
学生時代の「無力感」だったのかもしれません。
そして、それが私の
”2月14日の思考習慣”になっていたのかもしれない、
そんなことを思ったのでした。
■そして、この話から学べること。
それは、
『他の人にとってはチャンスだけれども、
自分にとっては、チャンスに見えなくなっていること』
があるのではないだろうか、
ということです。
・「新しい交流の場」はチャンスである、
と思う人もいれば、そうでない人もいる。
・「環境の変化」がチャンスである、
と思う人もいれば、そうでない人もいる。
・「プレゼンの機会」がチャンスである
と思う人もいれば、そうでない人もいる。
そして、
・「バレンタインデー」がチャンスである、
と思う人もいれば、そうでない人もいる。
そしてそれをわけているのは、
”事実”ではなく”解釈”であり、
自分のこれまでの経験です。
もしかすると、
”チャンス”とみなすものを阻んでいるものは、
自身の『学習性無力感』なのかもしれません。
なんて、思った次第です。
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<今日の未来習慣>
無意識のバイアス「学習性無力感」がないか、
想像してみる。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。