『君たちはどう生きるか』から学ぶ、「強くあること」の価値
(本日のお話 2543文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日で仕事納めでした。
元英語塾の同期で、
現在、とある歴史ある大学で先生をしている方、
ならびに、10年来の親友で、かつ
シェアハウスを運営している経営者の方と、
ランチやディナーなど。
今日から年末年始休みですが、
そんなときだからこそ、
ガシガシ活動をしたいと思います。
・マーケティングの本4冊
・コーチングの本2冊
・年初の計画
・とにかく走る(目標60キロ)
を予定。
楽しみです。
*
また、昨日のランニングは0キロ。
<現在の走行距離 61キロ(あと189キロ)※1月20日まで>
今はまだ、ダメージ回復期。
*
さて、本日のお話です。
宮駿監督で、映画化するとのことでも、
話題になった、
『君たちはどう生きるか』(著:吉野 源三郎)
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という歴史的名著である小説があります。
この本を読んでいて、
非常に感銘を受けて、仕方がありませんでした。
思うところは多々あるのですが、
その中でも特に印象に残った言葉を、
本日は皆様にご紹介させていただくとともに、
感じたことをご共有できればと思います。
タイトルは、
【『君たちはどう生きるか』から学ぶ、「強くあること」の価値】
それでは、どうぞ。
■まず『君たちはどう生きるか』という本ですが、
このようなエピソードです。
*
主人公:コペル君。
本名は本田潤一。中学二年生。十五歳。
大きな銀行の重役だったお父さんが二年前に亡くなり、
都内から郊外に引っ越してきました。
重要な登場人物:叔父さん。
コペル君のお母さんの弟で。
大学を出てからまだ間もない法学士です。
*
そして、この本は、
多感な時期を送るコペル君の物語です。
学校での出来事、友だちとのつきあい、
いじめ問題、貧困の問題、学ぶことの意味、
思ったことを叔父さんに話しします。
すると、”叔父さん”は、
コペル君の話を聞いて、
「ノート」を通じて、コペル君に示唆に富んだ言葉を
投げかけます。その言葉が、非常に深いのです。
そうやって、
貧困、いじめ、勇気、学問…。
今も昔も変わらないテーマに、
人間としてどう向き合うべきか、
そのことを、コペル君の精神的成長と共に、
深く考えさせられる、
そんな名著です。
■このような「あり方」に向き合った素晴らしい本が、
理由はどうあれ、
全国の書店で売れまくっているということは、
本当に嬉しいこと。
本当に大切なことを見返す、
素晴らしい機会になっているのではないか、
と思えて仕方がありません。
沢山の珠玉の言葉が書かれていますが、
特に私が、最近思っていることで、
深く共感した言葉が、以下のような、
”叔父さんの「ノート」に書かれた言葉でした。
(以下、引用です。「ナポレオン」に魅了されるコプロ君に対して、
叔父さんが送った言葉です)
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戦いにやぶれ、ヨーロッパのどこにも身の置き所がなく、
今長年の宿敵の手に捉えられて、その本国につれて来られていながら、
ナポレオンはみじめな意気沮喪(そそう)した姿をさらしはしなかったのだ。
とらわれの身となっても王者の誇りを失わず、
自分の招いた運命を男らしく引き受けてしっかりと立っていたのだ。
そして、その気魄(きはく)が、
数万の人々の心を売って、自然と頭を下げさせたのだ。
何という強い人格だろう。
― 君も大人になってゆくと、
よい心がけを持っていながら、弱いばかりに
その心がけを生かしきれないでいる小さな善人が
どんなに多いかということを、
おいおいに知ってくるだろう。
世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、
自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が、
決して少なくない。
人類の進歩と結びつかない英雄的精神も虚しいが、
英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。
君も、いまに、きっと思い当たることがあるだろう。
引用:『君たちはどう生きるか』(著:吉野 源三郎)
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■特に以下、言葉が、本当に胸に刺さって、
仕方がないのです。
それは、
”よい心がけを持っていながら、弱いばかりに
その心がけを生かしきれないでいる小さな善人”
が、世の中にはたくさんいて、そして、
”悪い人ではないが、弱いばかりに、
自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が少なくない”
という、この言葉です。
■私もこれまでの人生を振り返ってきて、
自分のこともそうでありながら、
この言葉を思い出すことが、
たくさん、たくさんありました。
例えば、
”熱い夢を語りつつも、力を持たぬ若者”
がいました。
”熱い夢””高らかな目標”
を持つことは素晴らしい。
でも、それを実現するための、
然るべき「努力」が伴っていない。
勉強をしていない、しようとしないから、
知識もなければ、知恵もない。
そして特出した、
世に認められるだけの、力や実績もない。
また、情熱があっても
それを、目上の人、外部の人に語り、
動かすだけの勇気や情熱が、ない。
だから、残酷なようですが、
「仲間内で盛り上がっていて、
影響力を拡げることができないフリーター」
と、事実、なってしまっている。
そんな人たちが、
たくさん、たくさんいたのでした。
■もちろん、そういった人たちが、
「悪い」といったわけではない。
でも、その「弱さ」(とあえていいます)を隠し、
内輪で盛り上がっていて、
夢を語り合っていても、
それが社会的に価値になっていないと、
”自立”できていないことになります。
そうすると、
結局、社会人として稼げない、
夢ばかり追いかけていて自立していない、
と、周りの大切な人を心配させてしまう。
こうなっていることも、
多々あるように感じるのです。
*
もちろん、
全部が全部、そうというわけではない。
しかしながら、
”悪い人ではないが、弱いばかりに、
自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が、
決して少なくない。
人類の進歩と結びつかない英雄的精神も虚しいが、
英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ”
とあるように、
『「強さなき、優しさ」は、空しいものである』
と、強く、強く感じるのです。
■「いい人」だけでは、十分ではない。
「すごい人」と言われる”強さ”を携えてこそ、
本当に、自分を、周りを、
幸せにすることができる。
そう思って止みません。
”いい人”は、
”どうでもいい人”として、
無下に扱われることも、多いのです。
強さ。
幸せを生み出すために、
価値を生み出すために、
本当に大切だと、そう強く思う次第です。