ちょっとした「しんどさ」は ”幸福感”を引き立ててくれる
(本日のお話 1456文字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
ならびに夕方からは、
明日の研修のため、愛知県に移動し、
夜は実家に泊まり、父母と団欒。
また、新しいマラソン用のシューズを買いました。
1ヶ月後のレースに向けて、250キロ走ります。
<現在の走行距離 26キロ(あと224キロ)
※1月20日まで>
です。
練習します。
*
さて、実家にて父母と話をしていたのですが、
その際、母がやっている、”市場のバイト”の話になりました。
お会計やら販売やらの仕事を
週3くらいでしているのですが、
その仕事が結構なかなか大変なようで、
「しんどい、きつい、やめたい」
としきりに言っておりました。
今日はその母の話を聞きつつ、
ふと思ったことがありましたので、
皆様にご共有したいと思います。
タイトルは、
【ちょっとした「しんどさ」は ”幸福感”を引き立ててくれる】。
それでは、どうぞ。
■世の中は、”相対的”に出来ています。
「明るい」があるから「暗い」があり、
「豊か」があるから「貧しい」があり、
「高い」があるから「低い」があり、
「男」があるから「女」がある、
というように、
全ての事柄が対になっているようです。
冬の「寒い」屋外から、
暖房の聞いた部屋にはいるから、
その”対比”で、
「あー、あったかい」
となり、そこはかとない幸せを感じられるのでしょう。
■そして、それは、
「幸福感」
についても同じことが言えるのでしょう。
例えば、私はマラソンをやります。
練習やレースは、追い込むときもあります。
そうすると、”しんどい”わけです。
ですが、その
「しんどさ」
を欠いた走りをした場合、
”走る気持ちよさ”は感じられたとしても、
『達成感』
『成長実感』
という、
「何かを得た!」という感覚は、
少なくなるわけです。
当然、走り終わった後のビールやお風呂の旨味も、
「しんどい」があった分だけ、
「×(掛け算)」の割合が増すのでは、
と思うわけです。
■しばしば「仕事は大変だ」とありますが、
本当に「大変」なのは、
”何もやることがなく、
エネルギーを使い切れないまま、
延々と休みが続くこと”
であると私は思います。
1年も2年も、やることがなく、
ぼーっとテレビを見続けたとしたら、
・「生きている感覚」が、少しずつ失われ、
・「このままでいいのか」という感覚になり、
・「自分の人生は何なのか?」ごとき不安に駆られる、
という話も、珍しくありません。
”「休みの開放感」は、ある意味、
「仕事の負荷」があるからこそ、堪能できる”
そういったことも、
一つの事実である、と思うわけです。
■母曰く、
「朝7時から11時まで、
上司に、ガミガミ言われてイヤ」
という話をしますが、
「じゃあ、それがなかったらよいのか?」
と私が、聞いてみると、
それはそれで違うようです。
メリットを考えた時に、
・微々たる金額だけどお金がもらえる
・朝起きて、11時以降目が覚める
・不快があるから、日常の開放感がある
という捉え方もできるよね、
そんな見方もできるから、結果は
「まあ、全体ではプラスだろう」
という話になっていました。
■今、問題となっているような、
・働き”すぎ”、
・自分を追い込み”すぎ”
はあまりよろしくないにせよ、
適度なストレス、負荷は、
時にプラスに働くものです。
スイカに塩をかけると、甘みが増すようなもの。
ちょっとした、「塩っ辛さ」は、
”甘み”を引き立ててくれるのです。
ちょっとした、「しんどさ」は、
”幸福感”を引き立ててくれるのです。
ということで、
『「しんどい、きつい」は、そこそこあったほうが、
幸せを感じられるものである』、
そんなことを、思った次第です。