「斬り合い」を恐れない。それは時に、深く、強い絆を作る
(本日のお話 1854文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
ならびに、米国本社とプログラムについて、
電話会議など。
「やっぱり英語は大切だな」
と、改めて感じた1時間でした。
AIで翻訳が便利になるかなあ、
などと期待して、後回しにしておりましたが、
とはいっても自分の言葉で伝えるというのは大事。
12月から本腰をいれてスタートしたいと思います。
そして、夜はいつもながら
「サムライ塾」でのミーティングでした。
*
さて、本日のお話です。
昨日、「サムライ塾」の仲間と話をしていて、
思ったことがありました。
それは、「ぶつかりあうことの価値」について。
今日はその話について、
感じたことについてご共有させていただきます。
タイトルは、
【「斬り合い」を恐れない。それは時に、深く、強い絆を作る】
それでは、どうぞ。
■「斬り合う」。
この数ヶ月間で、何回使ったかというほど、
よく使っている言葉です。
メルマガにも、何度も(というか毎日)登場していますが、
今、私は「サムライ塾」という学びの場に
仕事以外の時間のほとんどすべてを費やしています。
”サムライ塾”だけに、
「斬り合う」
という言葉になってしまうのかもしれませんが、
平たく言えば、
『思っていることを率直に、容赦なく、ぶつけ合う』
ということです。
もちろん、相手を傷つけるためではないです。
相互の信頼の下、相手のために、自分のためにぶつけあう、
ということが前提の言葉。
そして、この
”ぶつかり合い”が生み出すことは、予想以上に大きいのに、
なかなかできていない、
と思ったのです。
■大人になると、「痛み」が分かるため、
また経験を積み、賢くなるがゆえに、
「不要な争いを避けよう」
とする傾向がでてきます。
例えば、私自身も、20代前半、
その当時の会社にて、
「夢や目標って大事だよね!」
とアツく、まっすぐに語っていたら、先輩から
「その前にちゃんと仕事やれよ」」
「あいつは宗教じみている」などと言われ、
一時、孤立感を感じたことがあります。
そして、
「(独りで暴走すると、ダメなのだ。
場に合わせる事を覚えなければならない)」
と、密かに思った記憶があります。
それから、しばらくは「夢が大事」などと
思ったことをそのまま、
相手に主張することもなくなりました。
また、私の親しい友人は、
子供の頃、仲のいいお友達に、愛情表現のつもりで
軽くキックをしていたらそのお母さんから、
「◯◯ちゃんをいじめないで」
とその子のお母さんから怒られた、
ということがあったそう。
それからというもの、
友人に遠慮(思ったことをそのままぶつけることをしない)を
覚えるようになったそうです。
と、いうと極端かもしれませんが、
人は大人になるにつれて、社会性を身に付け、
『自分の言いたいこと、本音をぶつけず、
相手に合わせる』
というように、
大人になっていくのだと思うのです。
■しかし、それは時に、
針が逆方向に触れすぎるかのように、
「相手とのぶつかり合いを避け“すぎる”」
「自分の意見を言わなさ”すぎる”」
という傾向に、つながっていること、
あると思うのです。
だから、思っていても、言わない。
意見を率直に伝えると、相手を傷つけて、
関係が壊れてしまうかもしれない。
自分も傷つくかもしれない。
だから、言わない。
心に、留めて、やり過ごす。
ということが起こるのです。
でも、周りの人は、腹の中では、
「彼女のここ、問題だ」
「彼のあの行動、直したほうがいいのに」
と、”言わずに”、抱えていたりすることもある。
それが、「大人の世界」である、
とも感じるのです。
■しかしながら、人は、
「フィードバック」で成長する生き物です。
自分の臭いが自分でわからないように、
自分の姿が人の目にどう写っているのかも
自分では意外とわからないもの。
自分で自分のことは、見えないのです。
だから、本当は成長のためには、
【鋭い、本音の指摘】(=ぶった斬られる)
ということが大変重要な要素になるのです。
それは、本当のことだからこそ、時に傷つきます。
ダメージを受けます。または、ダメージを与えます。
でも、そうすることで、
「はっ」とさせられ、「はっ」とさせ、
自らに、相手に、お互いにブレイクスルーを起こす、
チャンスにもなりうる。
だからこそ、
本当に相手の事を思うのであれば、
リスクがあり、相手が傷つくかもしれない、嫌われるかもしれない、
という可能性があっても、
「斬り込む」
「斬り合う」
(=本音を容赦なくぶつけ合う)
ということが、大変大事である、
と思うのです。
■親が、子供に厳しいことを言うのは愛情があるから。
親友やパートナーには、
言いたくないことをぶつけるのも、
深い関係を目指したいから。
本当に深い、強い絆を作るためには、
「斬り合うこと」
も時に必要である、
そんな風に思って止みません。
骨は、一度折れた部分ところというのは、
人体の仕組みとして、太く、強くなります。
筋肉も、何度も打撃を食らった筋肉は、
硬く、強く、太くなります。
きっと、人間関係も同じでしょう。
“信頼”を土台とした上で、
【斬り合いを恐れない。衝突を恐れないことは、
時に、深く、強い絆を作る】
ものだと思います。
信頼がない中での「斬る」は、
ただの一方的な命令、押し付けになりますが、
それらのものがきちんと出来た上での「斬り合い、衝突」は、
生み出すものも大きい、そう強く感じた次第です。