なんとなくの「言葉」は伝わらない。
一粒一粒、想いをのせて、自分の「言葉」で語ってこそ、人に伝わるもの”
(本日のお話 1235文字/読了時間1分半)
■こんにちは。紀藤です。
昨日はひたすら読者、読書。
米国のDARPA(ダーパ)と呼ばれる
軍事組織の科学実験について書かれた、
『マインド・ウォーズ 操作される脳 』
ならびに、
『日本語が亡びるとき』
などを読み進めていました。
*
さて、早速ですが、本日のお話です。
昨日読んでいた
『日本語が亡びるとき』に書かれていたことを読みつつ、
「言葉の大切さ」について、思うことがありました。
今日はそのお話について、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【なんとなくの「言葉」は伝わらない。
一粒一粒、想いをのせて、自分の「言葉」で語ってこそ、人に伝わるもの】。
それでは、どうぞ。
■書籍『日本語が亡びるとき』に書かれていた話。
国際的な標準語が英語となり、
若い時から、母国語より、
標準語である英語を話す人が増えてくる。
(経済活動上、便利だから)
しかし、その汎用的なツールとしての
「言葉の波」が、特殊であるとされる言語(民族言語など)を飲み込んでいく結果、
何千もの言語がなくなっている、現実がある。
その土地に根付いた言葉、発音、文字。
それらのものがなくなった時、
大切にしてきた文化や心も失われるのではないか。
そして作家である特殊な言語の人々は、
そんなマイナーな言葉で、美しい表現をし続けることで、
今のこの「大が小を飲み込む」時代と戦っているのだ、
そのような話が語られていました。
■「言葉」とは、
古くから「言霊」とも言われるように、
ただのツールとしての言語を超えて、
深い意味があると感じます。
使う人の「魂」が、
話した言葉、
書いた言葉にこもるとき、
ただの「記号としての言語」を超えて、
相手の心を動かすものになる、
というのが「言葉」であると思います。
■少し話が変わるのですが、
先日、私が師と仰ぐ方とのやりとりで、
こんなことがありました。
私が、メールの冒頭で
「度々失礼いたします」
と伝えたところ、
「失礼なメールなら送らないこと」
というような指摘がありました。
そのときに思ったことが、
普段のビジネスシーンでも、
何となく、思いが込められていない、
空虚な表面的な言葉で話をしていることが、
多々あるのではないだろうか、ということ。
例えば、
「いつもお世話になっております」
(初めて会う人に対しても)
とか、
「お疲れ様です」(疲れてないのに)
とか、
「大変申し訳ございません」
(そんなに申し訳ないことでもないのに)
というように、
『何と無く聞こえがいいから』
『言った方が無難だから』
ということで使っている「言葉」が、
無意識でもたくさんあるのだろう、と思ったのです。
■もちろん、全てを否定するつもりはありません。
ただ、言葉とは
「相手に何かを伝えてこそ」
の存在です。
だから、なんとなく、
思ってもないのに伝える言葉は、
乱暴に言ってしまえば、
「がらくたの言葉」
といえるのかもしれません。
そういったものは、受け取る側も、
「なんだか表面的」「気持ちがはいっていない」と感じるもので、
その人の言葉ではない、と思うものです。
だからこそ、自分が語っている、
言葉の一粒一粒が、自分の真心から出てきているものか、
見つめること。
きちんと精査して、
大切な珠のように、
丁寧に届けようとすること。
人には、きちんと伝えなければいけない、
大切な時があります。
だからこそ、
「言葉の大切さ」をもっともっと考えて、
自分の言葉で語ることが大切なのだろう、
と思います。
【なんとなくの言葉は伝わらない。
一粒一粒、想いをのせて、
自分の言葉では語ってこそ、人に伝わるもの】
です。
言葉を大切に、
相手に思いを伝えてまいりましょう。