「限界は自分が作る」と、よく言うが、
その言葉の意味を”経験”した時、人は己の殻を破れるようになる”
(本日のお話 2343文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、台風の迫る風雨の中、
妻の実家の茨城県にて、フルマラソンに、
妻と共に参加をしてまいりました。
朝からずっと雨、雨、雨。
かつ、私は戦略ミスで、
足のダメージ(筋肉痛)が治らないままの出場、
妻は妻で、膝の痛みを抱えたままの出場となり、
非常に不安なスタートとなりました。
本日は、そんなフルマラソンを経て、
改めて感じたこと(主に妻の話となりますが)について、
思うところをお伝えさせて頂ければと思います。
タイトルは、
【「限界は自分が作る」と、よく言う。
その言葉の意味を”経験”した時、人は己の殻を破れるようになる】。
それでは、どうぞ。
■先日開催された「第二回 水戸黄門漫遊マラソン」。
台風の接近で、他の地域のマラソン大会が中止となる最中、
決行となったフルマラソンの大会です。
茨城県 水戸の市内を駆け巡るというコースですが、
ひたすら冷たい雨が降る中、走り続けなければ、
体がすぐに冷え切るというレースでした。
私は、フルマラソンの大会自体は、
4年ぶりの出場。
と思えば、100キロマラソンとか、
50キロトレイルマラソンとか、トライアスロンなど、
王道から離れた種目ばかり出場していて、
フルマラソンは参加していませんでした。
とはいえ、それなりに走ってはいるので、
完走は問題なくできる、という状態。
■ですので、今回の主役は、
どちらかというと、一緒に出場した「妻」でした。
6年程前に、一度、
妻はフルマラソンにチャレンジしました。
しかし、その時は25キロ地点で断念。
完走はできませんでした。
その直接の理由は、
「時間切れ」でしたが、その時の状況を妻に聞くと、
「これ以上、ムリをして走ったら、
自分の足が壊れてしまうと思った」
とのことで、本当はもう少し粘れば、
“25キロの関門”を突破できたけど、諦めた、
というのが、本音だったようです。
■そして時を経て、昨日のフルマラソン。
最近、“走る楽しさ”に目覚めて、
レースに向けて毎週、走っていた妻。
しかしながら、練習の最中、
膝を痛めてしまいました。
よって、膝にサポーターを巻きながら走る、
という厳しい状況下でのフルマラソン出場です。
最近は、普通に走っていても、
5キロも走ると、膝が痛くて走れない状態。
しかしながら
「やるからには、精一杯やろう!」
と誓い、共にスタートをしたのでした。
■そして、レースがスタート。
ひたすら走り走り、1時間、2時間、3時間と経過。
私は3時間50分でゴール。
(満足とは言えませんが、ダメージの残る中では
精一杯やりきったかと思います)
そして、その後は、
土砂降りの雨の中、妻の父、母、そして私で、
妻のゴールを待ちます。
今は、スマートフォンの「アプリ」で、
『応援ナビ』というものがあり、
「選手がどこを走っているかわかるツール」があるのです。
それをスマフォで見ながら、
今の妻の現在位置を確認します。
そうすると、かなり遅れている様子。
予想ゴール時間は、
「15:03」となっています。
制限時間は「15:00」です。
ですから、このままのペースで行くと、
時間切れになることは必須。
ゴールはできません。
今のタイムをみても、
恐らく、膝が壊れているのでしょう。
そう思いながら、アプリで場所を見ていると、
粘るように、妻の位置を示すアイコンが、
少しずつ動いていることがわかります。
走り続けています。
止まることなく、
妻の位置を示すアイコンは動き続け、
14:55、制限時間の5分前に、
妻の姿が見えました。
そして、FINISHと掲げられたゴールを通過しました。
初めての、フルマラソンの完走でした。
■ゴールした時の妻の姿は、
それこそ、満身創痍でした。
膝には、真っ白なテーピングが
グルグルに巻かれていました。
話を聞いてみると、
妻は、半分も到達するかしないかの20キロ地点で膝が壊れ、
救護所で手当をしてもらったそう。
「あと、半分もある。
無理だから、諦めようか」
という気持ちと、
「絶対やり切る」
「何が何でも走り抜く!」
という気持ちが均衡する中、
それでも妻は、
「何が何でも走り抜く!」
ということを決めて、
石にかじりつく思いで、足を動かし続けた、
そう語っていました。
■今回のゴールは、実際は、
諦めても仕方がない状況でした。
しかしながら、それでも
自分をゴールへと導いたものは、
“「絶対負けてなるものか」という思い”
であり、
“「己の限界」を認めなかったこと”
でした。
それこそが、完走へと己を導きました。
今回は、身内ながら、
本当に素晴らしい奮闘でした。
■しかし、ここでふと、疑問が湧きます。
6年前は、諦めてしまった妻。
なぜ、今回は、こんなに頑張ることができたのか?
6年前と、何が違ったのか?
そのことを妻に問うと、このように答えました。
「これまで、100キロマラソンのレース
(私が参加したレース)をみてきて、
“もうこれ以上動けないだろう”
としか思えないくらい、
びっこを引いて、足が壊れている人が、
それでもそこから40キロ走り続けるのを見た。
ゴールをするのを目にしてきた。
その姿を見て、自分は6年前のあの時、
本当はもっと頑張れた、と思ったのよね。
だから今回だって、
『あきらめなければ絶対やりきれるはず』
と思えた」
そう語っていました。
■よく言われることですが、
「自分の限界を決めているのは、自分」
です。
人の体は、実は簡単には壊れない。
否、壊れたと思っていても、
気持ちさえ負けなければ、動く。
だからフルマラソンだって、
気持ちがあれば、誰だってできる、
私はそう思います。
そして何より、フルマラソンだけでなく、
どんなことでもいいから、一度
『自分の限界を超える』
という経験をした人は、
それが自分の自信になるのです。
そうすれば、己の殻を破ることを、
今までより、簡単にできるようになるのです。
一つでもよいです。
『限界は自分が作っている』。
この言葉の意味を、
自分が「経験」をして、「体感」する。
そのことが何より大切だし、
今回の話で言えば、その経験をできたことこそが、
フルマラソンを完走した以上に、
妻にとって素晴らしい価値であり、
かけがえのない財産になる、
私はそう思います。
【「限界は自分が作る」と、よく言うが、
その言葉の意味を”経験”した時、人は己の殻を破れるようになる】
ものです。
自分の限界に、挑戦する。
その姿に、人は心動かされ、
また別の人が、挑戦の旅へと足を踏み出す。
そんな連鎖こそが、
「挑戦」の素晴らしさなのだ、
私は、強くそう思います。