区別をすると、正解不正解を付けたくなる。レッテルを貼るのではなく、同じ方向をみつめてみる""
(本日のお話 2156文字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日日曜日は読書に、選挙、
そしてテニス仲間と久しぶりに会い、
積もる話をしておりました。
今週末はフルマラソンですが、
かつてないほど練習ができていないため、どうなるか心配。
(まあ、自業自得です)
3時間30分を目指しますが、果たしてどうなることやら。
時間はありませんが、やれるだけやりたいと思います。
*
さて、本日のお話です。
最近、新入社員研修のお問合わせが、
大変ホットになってきています。
今日はその話をする中で、
人間関係にまつわる話について、思うところをお伝えしたいと思います。
タイトルは、
【区別をすると、正解不正解を付けたくなる。
レッテルを貼るのではなく‚同じ方向をみつめてみる】。
それでは、どうぞ。""
■今でこそ、少なくなってきていますが、
新入社員研修のシーズンでの「あるある話」が、
「最近のゆとり世代(さとり世代)は、すぐ折れる」
「ちゃんと人事部は教育をしたのか?」
「すぐ、正解を求めようとする」
というような、
“今の若者に対する苦言”を、
現場の上長が口にして仕方がない、
という話。
■これは今の世の中の風潮かもしれませんが、
”色々なものに「レッテル」を貼ることで、
その世代を理解しようとする(理解したつもりになる)こと”、
多いと思うのです。
しばしば、
“わかる(判る)”ことは、”分ける”こと。
と言われます。
男と女、関西人に九州男児、右派と左派、
生まれ、育ち、価値観、色んなことを「区別」すると、
その特徴を掴んだように思えて、理解が深まった気がする、
そういうものです。
■しかし、“分ける”、”区別する”と、
同時に弊害も起こるのです。
それは、
”「差」をつけたくなる。
「どちらが正しい」と言いたくなる。”
ということ。
そんな「善悪二元論」的な発想が、
全員とは言わずとも、
起こりがちになるのです。
これまでも、
色々な世代間の「レッテル」が
貼られてきました。
例えば、
大正世代(1912-1926)
昭和一桁(1926-1934)
焼け跡世代(1935-1939)
戦中生まれ世代(1941-1946)
全共闘世代(1941-1949*大学進学者)
団塊の世代(1947-1949)
しらけ世代(1950-1964)
ポスト団塊世代(1950-1955)
断層の世代(1951-1960)
新人類世代(1961-1970)
バブル世代(1965-1969)
団塊ジュニア世代(1971-1974)
ポスト団塊ジュニア世代(1975-1979)
氷河期世代・ミニマムライフ世代(1980-1988)
ゆとり世代(1987-2004)
さとり世代(ゆとり世代と同時期)
(スゴイですね)
こう並べてみると、
“どの世代が正しくて、
どの世代が間違っている“
なんてことは、言えないわけです。
言えることは、
【ただ単に「違う」】だけ、
それだけです。
■にも関わらず、
経験の差があったり、入社年次が早かったり、
立場が上か下かという差があると、
”一方的に、下が批判される”
という、なんとも悲しく、
理不尽なことが起こったりするのです。
しかし、です。
“「違い」を批判する”
だけでは、何ももたらしません。
最終的に、本当に目指したいことは、
相手(新人)を批判する、ではなく、
「会社の理念」
「組織のビジョン」
「チームの目標」
など“共通の目的”を達成するために、
・早く育ってくれる(基本的なルールを身につける)
・自分の強みを最大化する
・周りとの協働ができる
というように、「価値」を発揮してもらうこと。
「違い」を否定するのではなく、
活用してこそです。
と、いうことで
【区別をすると、正解不正解を付けたくなる。
レッテルを貼るのではなく‚同じ方向をみつめてみる】
ことが大事です。""