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1346号 2017年10月21日

「思いやり」という名の「保身」に気をつける

(本日のお話 1758文字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。

昨日金曜日は、午前は愛知にて
その後、東京に戻ってから、
もう一件のアポイントでした。

そして夜はいつものごとく、
「サムライ塾」の打ち合わせ。



さて、本日のお話です。

私が最近よくよく思うこと。

それは、

“日本人の美徳とも思われる、
相手への尊重(=思いやり)は、時にプラスにならないことがある“

ということ。

今日はこの話について、
思うところをご共有させていただきたいと思います。

タイトルは、

【「思いやり」という名の保身になってはならない】

それでは、どうぞ。

■日本人は、とても優しい、と思います。

否、厳密に言えば、

「自分のことを主張する」というより、
「他者を慮る」ということを優先する気質がある、

ということでしょうか。
少なくとも、私はそう感じています。

このこと自体は良いのですが、
しばしば思うことが、

“「相手を尊重する」という言葉は、
 時に「逃げ口上」となることはないだろうか?”

ということ。


■例えば、ある仕事などの
プロジェクトを推進するとき。

人は、諸々の人間関係において、
できることなら揉めたくない。

しかも、相手のことが
100パーセントわかっていない状況だったり、
踏み込むと地雷を踏んでしまうかも、
という状況においては、
当然、自分の意見を言うことは、時にリスクになる。

それぞれの意見があるし
それぞれの立場もあるし、
置かれた状況も違うし、
そんな中で、一方的に言うのは、大人気ない気もする。

だから、まず、

「相手を尊重し、受け入れよう」

と、一歩引く。

そんなことが、しばしば起こりがちなのではないか、

と思うわけです。


■しかしながら、同時に思うのです。

それは、

『本音をぶつけるからこそ
生まれる新たな道がある』

ということ。

そして、思うに、
日本人(と一括りにするわけではないですが)は、

「自分の意見を押し通すより、相手の意見を尊重する」

「傾向」がある、と思うのです。

普段、いいたいこと、思ったことを
言いまくっている人なら別ですが、

「本当はこう思うんだけどなあ」

と腹の中で一物も二物も抱えながら、

「でも、相手の意見もあるし」

となっているとしたら。

きっとそれは、
相手を尊重するといいつつ、
本音はぶつかりたくない、というだけであり、

行って仕舞えば、

【相手を思いやる、という名の保身】

ではないかと、思うのです。


■もちろん、誰でも彼でもぶつかろう、
という話ではありません。

しかし、この人は大切だ、
ずっと付き合っていきたい、
そんなちょっと気になる友人、同僚など、
そう思う人であればあるこそ。

相手の意見を尊重する、ことも大事ですが、
それ以上に、自分の腹の中を見せて、
時に衝突が起こってもぶつかること。

それがとても重要なことではなかろうか、
と思うのです。


相手に対する愛がある、という条件の元、
ぶつかることで生まれる果実は、
予想以上に大きいです。

だから、健全な衝突を大切にしたいし、

【相手を思いやる、という名の保身】

に陥ってはよくないな、
そう思う次第です。

愛ある苦言、大事だなと思う次第です。

【本日の名言】 愛することとは
ほとんど信じることである。

ヴィクトール・ユゴー”

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