「思いやり」という名の「保身」に気をつける
(本日のお話 1758文字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日金曜日は、午前は愛知にて
その後、東京に戻ってから、
もう一件のアポイントでした。
そして夜はいつものごとく、
「サムライ塾」の打ち合わせ。
*
さて、本日のお話です。
私が最近よくよく思うこと。
それは、
“日本人の美徳とも思われる、
相手への尊重(=思いやり)は、時にプラスにならないことがある“
ということ。
今日はこの話について、
思うところをご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【「思いやり」という名の保身になってはならない】
それでは、どうぞ。
■日本人は、とても優しい、と思います。
否、厳密に言えば、
「自分のことを主張する」というより、
「他者を慮る」ということを優先する気質がある、
ということでしょうか。
少なくとも、私はそう感じています。
このこと自体は良いのですが、
しばしば思うことが、
“「相手を尊重する」という言葉は、
時に「逃げ口上」となることはないだろうか?”
ということ。
■例えば、ある仕事などの
プロジェクトを推進するとき。
人は、諸々の人間関係において、
できることなら揉めたくない。
しかも、相手のことが
100パーセントわかっていない状況だったり、
踏み込むと地雷を踏んでしまうかも、
という状況においては、
当然、自分の意見を言うことは、時にリスクになる。
それぞれの意見があるし
それぞれの立場もあるし、
置かれた状況も違うし、
そんな中で、一方的に言うのは、大人気ない気もする。
だから、まず、
「相手を尊重し、受け入れよう」
と、一歩引く。
そんなことが、しばしば起こりがちなのではないか、
と思うわけです。
■しかしながら、同時に思うのです。
それは、
『本音をぶつけるからこそ
生まれる新たな道がある』
ということ。
そして、思うに、
日本人(と一括りにするわけではないですが)は、
「自分の意見を押し通すより、相手の意見を尊重する」
「傾向」がある、と思うのです。
普段、いいたいこと、思ったことを
言いまくっている人なら別ですが、
「本当はこう思うんだけどなあ」
と腹の中で一物も二物も抱えながら、
「でも、相手の意見もあるし」
となっているとしたら。
きっとそれは、
相手を尊重するといいつつ、
本音はぶつかりたくない、というだけであり、
行って仕舞えば、
【相手を思いやる、という名の保身】
ではないかと、思うのです。
■もちろん、誰でも彼でもぶつかろう、
という話ではありません。
しかし、この人は大切だ、
ずっと付き合っていきたい、
そんなちょっと気になる友人、同僚など、
そう思う人であればあるこそ。
相手の意見を尊重する、ことも大事ですが、
それ以上に、自分の腹の中を見せて、
時に衝突が起こってもぶつかること。
それがとても重要なことではなかろうか、
と思うのです。
相手に対する愛がある、という条件の元、
ぶつかることで生まれる果実は、
予想以上に大きいです。
だから、健全な衝突を大切にしたいし、
【相手を思いやる、という名の保身】
に陥ってはよくないな、
そう思う次第です。
愛ある苦言、大事だなと思う次第です。