「サンドバック的フィードバック」は凶器である。
しかしながら、使いようになっては、一皮むける良薬となる”
(本日のお話 2334文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
日曜日は、土曜日に「サムライ塾」懇親会にて、
飲みすぎてしまい、やや2日酔いだったため、
妻とジムにて筋トレや、バイクのマシンにのって
汗(残り酒)を流しておりました。
午後からは、カフェなどで読書や諸々仕事など。
漫画『インベスターZ』というものを、
たまたま読んだのですが、面白かったです。
「投資」のマンガなのですが、
最近、世界、文化の成り立ちと「お金」は切っても切れない間柄であることを、
つくづく学び、理解しているため、とても興味深いです。
*
さて、本日のお話です。
人材育成に関わっていて、よくよく思うこと。
それが、「フィードバックの大切さ」です。
それは、時に重たく、辛く、
自分を傷つけるものかもしれないし、
いまいましくすら思うこともあるもの。
でも、やっぱり、使いようになっては、
本当に素晴らしい“特効薬”になる、
と思うわけです。
今日は、そんな思いとともに、
【「サンドバック的フィードバック」は凶器である。
しかしながら、使いようになっては、一皮むける良薬となる】
というテーマお伝えさせていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■突然ですが、私の前職の、
「苦い経験」の告白です。
それは、転職して1年目の出来事。
(第二新卒で二社目の入社だったので当時25歳)
通称「JDP」と呼ばれる研修に、
会社の命で参加することになったのでした。
(Junior development programとか、そんな名称の略だったと思います)
それは、私の「苦い経験」でもあり、
逆に今思えば「ありがたい経験」でもあったと、
振り返ってみると、思うことがありました。
*
さて、この“JDP”研修なるもの、一体何なのか?
平たく言えば、
“「周りからのフィードバック」を通じて、
社員の行動改善をする”
というような目的で実施される研修です。
最初に、自分自身の“振り返り(アセスメント)”を行います。
私は当時(今も)、基本的に
「まあ、なんとかなるっしょ」というスタンスで、
適当に生きている節があるので、
“振り返り(アセスメント)”を行う際も、
「まあ、こんなものかな。
結構、自分、がんばってる気がする」
というノリで、このテストの真意もわからず、
否、理解しようともせず、
・あなたは仕事の役割を果たしていますか?
・周りとの協働を心がけていますか?
・組織の期待を認識していますか?
などなどの、
意味ありげな質問に対して、
「4(まあまあ出来ている)」とか
「5(よく出来ている)」と、
恥ずかしげもなく、やみくもに、
◯を付けまくっていたのでした。
(その後、ヒドイことになるともしらず)
そして、同時に、そのアセスメントを、
上長や、同僚にもやってもらうのです。
そして、その結果を持った上で、
研修に臨んだのでした。
■そして、1泊2日の研修が始まります。
色々と講義やら何やらがあり、いよいよ
「参加者それぞれのアセスメント結果」に対しての、
フィードバックがあったのです。
前に立って、自分のアセスメント、
他の人が評価した自分のアセスメントを見比べ、
その理由などを、前にたって皆に説明するのです。
私の場合、やたらと
・自分自身の自己評価が高い(4~5ばっかり)
・上司、部下の私への評価は著しく低い(1~2ばかり)
という状態。
そして、その理由を考えて、
「ちょっと、自己評価を甘くしすぎましたね。ははは。」
みたいに、話をしたところ、講師の表情が一変。
「キミは、独りよがりの裸の王様だな。
見ていて恥ずかしい」
その場の空気をぶった切るような、
辛辣なコメント。
なかなか、そんな言葉をもらうこともないので、
心臓を箱に詰められたような
なんともいえぬ衝撃を受けたのでした。
■ただ、とは言え、
心の奥底ではわかっていたのです。
実は、自分自身でも、
”自分を棚に挙げていること”
が、どこかでわかっていた
「弱み」である、と。
そこを、ズバリ指摘をされたから、
とんでもなく動揺し、衝撃を受け、
凹んだのでしょう。
更に更に、会社に帰ってから、
その研修の話を皆に報告し、社内でも、
「率直にフィードバックをぶつけ合う」という場があったのですが、
それこそ360°あらゆるところから、
「全然できていないよね」
「ここだよくない」
「あれはどうかと思う」
と”サンドバックの如きフィードバック”をもらい、
ボコボコにされ、さらにベコベコに凹んだのでした。
それから、しばらく、
自信を失い、だいぶしょぼくれていた記憶があります。
そんな、25歳のある日でした。
そして、その時、強く、思ったのです。
『「フィードバック」は、“凶器”である』
と。
■正直なところ、あの研修自体は、
「ただただ奈落に落とされる」研修で、
そこに、”愛情”は感じなかったため、
気付きより、ダメージが大きいものでした(汗)
しかし、その後、社内に戻ってから、
信頼している近しい先輩から、
研修の振り返りも踏まえて、改めてフィードバックをもらったのです。
違っていたのは、その時は、
・「フィードバックを受け止める気持ち」があったこと、
・「信頼している先輩」が言ってくれたこと
でした。
愛情を感じられる状況と、
フィードバックへの体制がついていました。
そして、その上で、
「正直、紀藤のよくないところはこういうところだと思う」
「一生懸命な姿勢はよいけれど、それだけじゃダメだね」
と言ってもらえたことは、
自分にとって、深い気付きになったのでした。
そして、同時に、思ったのです。
『フィードバックは、「薬」である』
と。
■そして、改めて思うのが、
【フィードバックとは、凶器(毒)にも薬にもなる】
ということ。
何となく、関係がない人から、
闇雲に言われた(と感じさせる)フィードバックは、
人をただ傷つけるだけにもなりかねない。
「凶器」になりえるもの。
しかし、きちんと受け止める心の準備ができていて、
その理由も理論立てて説明されており、
信頼おける人からの、愛情がある(と感じさせる)フィードバックは、
「薬」になるもの。
だから、フィードバックが効果的に使えれば、
自分をより高いところへと、
連れていってくれると思うのです。
■よく言われる話ですが、
「自分で自分の姿」は見えません。
“こうやっているつもり”
と思っても、それが真実とは限らない。
だからこそ、自分で思う姿だけなく、
「どう見えているのか」という、
むしろ求めてでも得ていきたいもの。
闇雲なフィードバックはただの凶器になりえますが、
自ら望んで、フィードバックを正しく利用すれば
それが、自分をブレイクスルーするきっかけになるものです。
だからこそ、
【「サンドバック的フィードバック」は凶器である。
しかしながら、使いようになっては、一皮むける良薬となる】
と思います。
ということで、功罪ありながらも、
なんだかなんだ
“「フィードバック」はとても重要”
である、と思った次第です。