「まだ見ぬ世界」に挑戦すると、すべからく凹む。
しかし、着目すべきは「まだ見ぬ世界」に飛び込んでみようという
気概を持ったことである。”
(本日のお話 2234文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
今後の人材育成戦略などについて、
色々と議論を深めた時間でした。
3時間ものディスカッションにお付き合いいただいた
K様、O様、ありがとうございました!
*
さて、早速ですが、本日のお話です。
昨晩、家に帰った後、妻と話をしたときの話。
妻が若干元気をなくしていて、
その理由を聞きながら、思うところがありました。
今日はその話について、
ご共有させて頂くとともに思うところを
お伝えさせて頂ければと思います。
タイトルは、
【「まだ見ぬ世界」に挑戦すると、すべからく凹む。
しかし、着目すべきは「まだ見ぬ世界」に飛び込んでみようという
気概を持ったことである】。
それでは、どうぞ。
■夜23時頃。
帰りが遅くなった私が、
ご飯を食べているとき、
ふと、横で
(ヨガマットにてストレッチをしている)妻が、
つぶやきました。
「私、本当に20代の頃頑張ってなかったんだなあって、
最近、よくよく思うんだよね」
何となく、神妙な面持ちです。
「どうしてそう思うの?」
何気なく聞いてみたのでした。
すると、彼女はこう答えます。
「アーツ(アートディレクション講座)に行き始めて、
同世代の人と話すんだけど、
圧倒的なレベルの差を感じるんだよね。」
そんな、自分の能力のなさに対する、
失望、焦り、
サボってきた後悔、
そんな感覚を感じすぎて辛い、
というような話でした。
■ちなみに、妻はデザイナーです。
「デザイン」といっても幅が広いのですが、
専門学校を卒業後、広告のデザインをしていました。
とはいっても、
勤め先は大変小さな小規模会社。
同期や多様な顧客から「もまれる経験」、
はあまりして来なかった様子。
その後、転職して、
WEBデザイン(ホームページ作成)を覚えるのですが、
そこでも割と、平和に仕事をしてきました。
が、1年ほど前トラブル発生。
務めていた会社が倒産。
結果、彼女はフリーランスとなったのでした。
当然、自分で仕事を獲得せねばならない、
抱えるようになったのでした。
そうすると、自分の実力が露呈されます。
「でも、作業者ではなく、
本当はもっとお客さんに寄り添った深い提案や
コンサルティングができるようになりたい」
そんな気概、目標を持ち、
「アートディレクション講座」なる半年間のコースを
受講し始めたのでした。
■そして、新たな環境に、悩む妻。
私は、そんな妻を見て、
「うん、いいなあ」と何となく微笑ましく
思っていたのでした。
別に、妻をいじめたいわけでも、
辛さを笑っているわけでもありません。
単純に、上昇気流に乗っている、
と私は思えたからです。
人の成長には、
かならず「ルール」がある、
と思います。
自分がより高みを目指して、
「まだ見ぬ世界」に飛び込んだとしたら
“自分以上の猛者たちが集まっている”
こと至極、当然の話。
その猛者たちの中にいて、
その高い基準、思考回路にもまれていれば、
居心地が悪く、
劣等感を苛まれ、
なぜいるのだろうと疑問を感じ、
早く離れたい、もうやめたい、
と感じるのは、ある意味当然の話です。
*
ランニングだって、
「もっと速く走りたい」と思い、
自分より力量があり、速い人と走れば
ペースが上がり、速く走れるものです。
(キツいけど)
テニスだって、
「もっとうまくなりたい」と思い、
自分より圧倒的に上手い人と練習し続けると、
急角度で上手くなっていくものです。
(ボコボコに負かされるけれど)
仕事だってそう。
もっと高いレベルにいきたい、と願い、
自分より遥かに高いレベルにいる人と一緒に仕事をすると、
その高い基準に引き上げられるもの。
(プレッシャーはとてつもないけれど)
ですから、
『上の世界の人にしがみつくと、
キツいが、高みへといける』
のです。
■そして思います。
真に着目すべきところとは、
「高いレベルの世界に入ってしんどい」
という、表面的な話ではなく。
そんな話は、いまさら言うまでもないし、
「キツくても、上の世界に居続ける」ことだけ、
歯を食いしばってやればよいです。
本当になによりも、真に着目すべきところ、
評価すべき、大切なところというのは、
そもそも、
【「まだ見ぬ世界に飛び込んでみよう」という気概を持ったこと】
である、
そう思うのです。
「挑戦」には、“痛み”が伴います。
普段できないことに立ち向かうから「挑戦」なのです。
「挑戦」とは、小さい頃、
逆上がりをしようと思っても出来なくて、
夕方までずっとやってもできなくて、
涙して、がんばって、ようやくできた“あの経験”です。
「挑戦」とは、自転車にのって、転びながら、
それでもお兄さんお姉さんのように乗りたいと思い、
転んで、傷だらけになりながら立ち向かった、“あの経験”です。
どれも、
「何かできるようになりたい」
「まだ見ぬ世界へいきたい」
という思いがあったからこそ、
出来ないことに対する悔しさ、歯がゆさを抱えながらも、
それを情熱に変えて、突き進むことができるのです。
それは、小さい子供だろうが、大人だろうが、一緒。
まだ自分ができない、
でも出来たらいいな、という想い、渇望、
すなわち、
【「まだ見ぬ世界に飛び込んでみよう」という気概を持つ】
ことこそが、すべての始まりであり、
根本であり、それを持てたことこそを、
評価すべきと思ったのです。
■そんな文脈で考えると、
妻の、「何も出来なくてつらい、キツイ」というのも、
逆上がりに挑戦する子供
自転車に転びながらトライする子供
と同じようなもの。
なにより、評価すべきは、
妻が何気なく口にした、
『本当はもっとお客さんに寄り添った深い提案や、
コンサルティングができるようになりたい』
という、「まだ見ぬ世界」に憧れ、
トライしようとした、その姿勢にこそ褒め称えてあげたい、
と思ったのです。
始まりは、その人の思い、気概です。
それに付随する、辛さ、違和感は、
すべからく発生する成長痛のようなもの。
大切なことは、気概を持ち、
前へ進むこと、ただそれだけです。