「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」
と語った親鸞聖人から学ぶ、人生の貫き方”
(本日のお話 1934文字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
月曜日、体育の日ですが、
インドアにて、「サムライ塾」の仲間と、
ひたすら歴史やグローバリズムについて勉強会。
夜はサムライ塾の代表のお家へ打ち合わせ、兼
勉強会で、23時頃迄ひたすら話をしておりました。
最近、体ではなく、頭を使っているため、
見識はどんどん高まっておりますが、
同時に、体重もどんどん増えております。
(動くことが少なくなったので 汗)
4ヶ月前の100キロマラソンに出場した時に比べて、
体重が60キロ→65キロと、5キロ増。
今月末のフルマラソンまで、
5キロもの肉塊を抱えて走るわけにはいきませんので、
少しでも体重を減らして臨みたいと思います。
また、ファスティング(断食)でもしようかな。
*
さて、本日のお話です。
本日の勉強会の最中、
「禅」について話が盛り上がっている時、
サムライ塾代表より、とある言葉を教わりました。
その言葉が、とてもいい言葉だな、
と感銘を受けましたので、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、その名言を借りて、
【「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」
と語った親鸞聖人から学ぶ、人生の貫き方】。
それでは、どうぞ。
■親鸞聖人。
歴史の教科書で習った方も多いかと思いますが、
親鸞は、仏教の伝統的な一派である「浄土真宗」の宗祖。
鎌倉時代1173~1262年まで生きたと言われています。
そして、「浄土真宗」は、
日本の仏教の主流である、”伝統仏教13宗”の中で、
一番大きい宗派と言われています。
参考:日本の仏教(「伝統仏教13宗」)
■親鸞が語られた教えで有名な一説は、
仏教書の「歎異抄(たんにしょう)」に示されている、
「本願を信じ念仏申さば仏になる」
という言葉。すなわち、
“浄土真宗は、ただひとつ「信心」の徹底ということ”
である、と説明されています。
※参考:「真宗会館」ホームページより
それが、一部の人だけでなく、
「あらゆる人びとに救いの道を開いた」ということで、
多くの支持を集め広がっていったそう。
■そして、そんな親鸞聖人が残した言葉の1つに、
こんな言葉があるのです。
それが、
『善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや』
という言葉。
「往生」とは、“本当の幸せになること”を意味します。
ですから、そのまま直訳すると、
「善人でさえ幸せになれるのだから、悪人はなおさら幸せになれる」
となります。
えっ、どういうこと?
と思うでしょう。
「悪人はなおさら幸せになれる」のなら、
悪いことをやった方がいいんではないか?
「善人」になる必要はないのではないか、
そう思っても不思議ではありません。
■しかし、この言葉には、
以下のような意味が込められているそうです。
ある浄土真宗の宗派のホームページから、
学んだ内容によると、このように説明されていました。
*
『善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや』
の「悪人」とは、「自傷の悪人」と定義される。
「自傷の悪人」とは、
“自分は悪人であったと本当に気づいている。
善人に成ろうと頑張るが、それでも出来ず、心傷める人“
のこと。
つまり
「自分は全然ダメだ。悪い奴だともわかっている。
それでも、つい破ってしまう。何とかしたいのに、できない。
自分でもどうしようもないのに、また誤ちを繰り返してしまう」
そんな、負のスパイラルから抜け出せず、
苦しんでいる、そんな人のこと。
そのような人は、「悪人」だが、
救われないはずがない、当然救われてしかるべきだ、
そんな説明でした。
■自分の本心では、
「なんとか頑張りたい」
「なんとか変わりたい」
と思っているものの、どうしても変われない
戦えない、変化しきれない自分にもがき、苦しむ、
そんな人。
親鸞の考えによれば、
“そこまで苦労をしている人(でも、悪人)であれば、
むしろ救われないはずはない”
という。
■私の周りにも、いました。
それは、育ってきた環境だったり、
たまたま付き合ってきた人間関係だったり、
巻き込まれたアクシデントだったり、
真面目で、まっすぐな気質を持っているけれど、
大袈裟に言うと、「運」が味方してくれなかった、
そう感じさせられる”不器用な人”です。
頑張っているけど、
言ってしまえば空回りしているように見えたり、
結果につながらないような人。
でも、何とかもがき苦しみながら、
それでも前に進もうとすることは、
直ぐに結果が出なくとも、やはり素晴らしい、
親鸞の言葉には、そんな
万人への受容を感じたのです。
■私は特定の宗教を持つわけではありません。
でも、思うのは、
必ずしも「結果」だけが全てではない。
「もがきながら、少しでも良くなろう」、
そう思うプロセスにこそ、
命の輝きがある。
私は、そう思って止みません。
善人だろうが、悪人だろうが、
関係なく、ただただ、自分のベストを尽くして、
まっすぐ突き進むこと、
ただただ、それが大事なのだろうな、
そんなことを思った次第です。