結果がどうこうという話は、なんだかんだいって、
結局は”「志」のあるなし”に帰結する”
(本日のお話 2881文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日夜、久しぶりに運動(テニス)をしました。
なかなかの疲労感を感じたのですが、
同時にエネルギーが湧き上がる感覚が。
心と体は、密接に関わっているのだろうな、と思いつつ。
そして、今月末のフルマラソン(with妻&友人)に向けて、
時間を見つけて、トレーニングしていきたいと思います。
改めて、常に「目標」を掲げ、前のめりで攻めてこそ、
生きている実感が生まれます。(私の場合)
高いところを見据えるからこそ、
高いところに行くことができるのだと信じて。
*
さて、本日のお話です。
タイトルは、
【結果がどうこうという話は、なんだかんだいって、
結局は”「志」のあるなし”に帰結する】
それでは、どうぞ。
■企業は、社員に成果を期待します。
そして、思うのですが、極端な話、
乱暴に言ってしまうと、
”めちゃめちゃ会社に貢献する人、業績を上げる人”
というのは、
=======================
1,「志」があるかどうか
2,圧倒的当事者意識を持っているかどうか
========================
この2つに、集約されると思っています。
マナー、ビジネススキル、
ロジカルシンキング、クリティカルシンキング、
プレゼンテーション力、ヒアリング力、
確かにこれらのことは大事。
でも、誤解を恐れず言うのであれば、
こんなこと、「枝葉」でしかない、
そう感じます。
■人間は、「自動車」みたいなもの。
いくらいいパーツ(タイヤ、ホイール)
いくらいい頭脳(システム、制御装置)
やるときゃ、やれる勢い(エンジン)
があっても、
『そもそものエネルギーの源(ガソリン、燃料)』=「志」
がなければ、走れるはずもない。
『そもそも走ろうという自意識(ドライバー感)』=「当事者意識」
がなければ、人任せの乗客意識になるだけ。
だからこそ、
「この仕事を通じて、どうしていきたいのか」
という『志』であると思うし、
「自動車を動かしていくのは、自分なのだ」という、
『当事者意識』が、
絶対的に必要である、と思うのです。
■先日、私の仲間が、
自らの「志」に従い、ある会社に転職をしました。
その彼は、元コンサル出身で
かつ、その頭脳も優れている人物。
そんな彼が、その転職先のプロジェクトで
「圧倒的な成果を出している」
という報告を、facebookで先日目にしました。
それは、もちろん彼の頭脳もあるけれど、
決め手になったこと、
すなわち、
”人の心を動かし巻き込んだ”ことは、
「志」や「圧倒的当事者意識」である、
と私は強く感じましたし、
実際そうである、と確信するような内容でした。
それくらい、「結果」というのは、
「本質・根」(=志、当事者意識)
という部分に深く、深く根付いている、
私はそう感じてなりません。
■しかし、現実はどうか。
特に、新入社員を考えた時、どうか。
幸いにも、学生時代から社会人にかけて、
部活、クラス、その他の活動で、
そういった
『志』または『当事者意識』
が醸成されるきっかけがあればよいです。
しかし、多くの場合、
日本の教育の問題もありつつ、
”皆がそうやっているから”
という思考に支配され、自動的に、
何か深い疑問を持つこともなく、
中学、高校、大学、就職へと、繰り上がってきた、
という人も、間違いなくいます。
むしろ、多数かもしれません。
そして、就職活動の時に、
「自己分析?わけわかんねー」
となる。
自分の道が見えない。
「志」なんてことも、考えたことがない。
そんな人、やはりいるし、多いのです。
■ある程度、ビジネスの経験、
人生の経験が長くなってくると、
必要不可欠な存在が、
『志』や『当事者意識』のような「根」の部分
にこそあると、見えてくるものです。
もちろん、気づかない人もいます。
気づく、気づかないは、タイミングの問題。
それは「縁」といってしまえば、
それで終わる話かもしれない。
しかし、
“「志」って大事なのかもしれない」と気付き始めること”
が第一歩であり、
チャンスだと思うのです。
だからこそ、特に、柔軟な若いうちに、
『志』『当事者意識』という根の部分
基礎の礎、エネルギー自動装填の方法、
これらの大切さに対する気付きを与えてあげること、
このことが大事だと思うのです。