物事を変えるため、変化を起こすためには、ショックが必要である
(本日のお話 1543文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
先日実施した7つの習慣研修の振り返りとともに、
「なんのために研修を実施するのか?」
という本質的なテーマについて、議論しておりました。
本日はその議論を通じて感じたことについて、
思うところを皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【物事を変えるため、変化を起こすためには、ショックが必要である】
それでは、どうぞ。
■以前、こんな例え話を聞くことがあり、
至極、納得した記憶があります。
『人も社会も「コマ」のようなものである。
最初はふらついていても、
安定し始めると、だんだん回転軸が定まってきて、
「ひたすらその場で」回り続ける。
そして、同じ場所で、回り続けるものである』
そんな例え話。
■言われてみればそうなのですが、
人は、「変化」に対して、恐れを抱くもの。
全員が全員そうではないとはいえ、
そういった人は、結構多いです。
恐らくそれは、「人間の生存本能」
のようなものだからでしょう。
”予測できる未来” があるから、安心する。
だから、図らずも「安定」を求める人も多いし、
それが普通なのだと思います。
逆に、
「一寸先は闇、その日暮らし、
これからどうしたらよいか全く見えない、
でも超楽しい!!」
という喜々とした人は、一般的には、
「珍しい人」という、レッテルを貼られるように思います。
ということは、人はなんだかんだ、
「平和、安定が好きなもの」
これは紛れもない事実だと思うわけです。
■しかしながら、です。
矛盾を生じた話ですが、
「無目的に一箇所に留まり続けるコマ」
(=無目的に、安定、安心を求めすぎる人)
は、同時に危険もはらんでいるもの。
同じ場所でひたすら現状を維持する行動は、
「安定している世の中」では効果的。
しかし、周りの環境が変化し、
自らも変化を求められる時は、
必ずしも効果的とは言えないものです。
同じ場所で回る。
それは、同じ行動を繰り返すこと。
すなわち、同じ結果を得続けることになります。
ですが、一度、環境が変わったら。
すなわち「コマ」の板が急に傾いたり、
板の表面がボコボコに急に変化したりしたら、
安定して回ることはままならなくなるものです。
そして、今の世の中、
当たり前が、当たり前でなくなる兆候
(テクノロジー、国際情勢、既存ビジネスモデルの崩壊など)
が見えている、否、見えまくっている今。
まさしく、
「コマが安定して回っていられない状態」
に片足を(もしかしたら両足とも)
突っ込んでいる状態ではなかろうか、
そのように思うのです。
■かの有名な「進化論」を唱えたダーヴィンは、
「最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である」
と言いましたが、
これは本当にそうなのでしょう。
「安定」「安心」を望むのであれば。
世の中において、生存し続けるためには。
「(無目的に)安定、安心にしがみつく」のではなく、
環境の変化を見極めること、そして
「自らを”変化させ続ける”こと」、
これらが大事な要素ではなかろうか、
そんなことも思うのです。
■そして、
“自らを変える”
“変わり続ける”
ことを選ぶのであれば。
変化のためには、敢えて、
「今を否定する」事が必要になってきます。
そのために、今自分を認めてくれる
温かい環境にいるのではなく、敢えて、
・衝撃の最中
・暴風の中心
・意見、批判の渦
に、自らを飛び込ませ、
安定して回っているコマに強制的な動揺を与える、
そんな「ショック」を活用することが
効果的なアクションの1つになるのでしょう。
■何かを作るためには、何かを壊すこと。
何かを選ぶことは、何かを選ばないこと。
物事を「変える」には、ショックが必要です。
ショックを与え、“今まで自分”を破壊する。
創造のためには、壊すこと。
スクラップ&ビルドで、
次のステージに行くことができる。
少し過激なようですが、
これも1つの大切な解ではなかろうか、
そんなことを思った次第です。