”知っているを、知っている” で終わらせないための条件
(本日のお話 1754文字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
ならびに夜は「サムライ塾」の
打ち合わせのため、南砂町へ。
今週日曜日は、先週のトライアスロンの傷(?)も癒えぬまま、
「白馬国際トレイルマラソン」
(累積標高2800メートル、距離50キロ)
にサムライ塾の仲間、ならびに、
妻と共に参加してまいります。
半年前まで何もやっていなかった妻。
そして、普段デスクワークで動く機会のない妻が、
これほどのハードなレースに出ようとしていることが、
私自身何よりも驚きで、かつ、
「人はいつまでも成長できるものだ」
という原則に、はたと気が付かされます。
私自身全く練習ができていないのが、
若干の気がかりですが、それを補うべく、
戦略で勝ちにいこうと思います。
とにかく、楽しみです!
*
さて、本日のお話です。
「知っていることと、出来ることの間には
大いなる隔たりがある」
このことは、比較的よく知られた
”学びの原則”の一つかと思います。
そして実際、私自身最近、この
「知っていることと、出来ることの隔たり」
を痛感している日々。
今日は、この話について、
思うところをご共有させていただくと共に、
【知っているを、知っている
で終わらせないための条件】
というタイトルで、
学びをご共有させていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■鉄板の研修トークで、
こんな話をすることがあります。
一日の終わり、研修の終わりにて、
こういうのです。
「皆さん、今日は色々な新しいこと学んだと思います。
しかし、「知っている」だけ、ではいけません。
「知っている」という言葉から、
小さい「つ」を取ってください。
そうすると、
『している』
になりますね。
皆様が目指すところはここです。
学んだことを実践し、そして
「している」ことを目指してください。」
こんな話をすると、
「”しっている”を”している”か。
確かにそうだな!」
というように、
ささやかな感銘を受けて、
よし「(実践)していこう!」
などと思ったりします。
■しかしながら、です。
その
”「しっている、を、している」にしよう”
という言葉すら、
やっぱり
「知っているだけ」
になること、
やっぱり多いと思うのです。
いくらいい話を聞いても、
「研修で学んだだけ」では、
本当の意味では、自分の力にはならず、
『畳の上の水練』
をいくら繰り返しても、
本当に上手に泳げるようになることは、
残念ながら、ないのです。
(教育業界に携わる私が言うのは、
ひどく乱暴な話かも知れませんが)
■では、どうすればよいのでしょうか。
そのためには2つ、
条件があると思うのです。
一つは
『実際に学んだことを試す場を作る』
こと。
もう一つは
『フィードバックをもらえる、師匠を見つける』
こと。
まず、当たり前ですが、
「畳の上」から「実際の川」に飛び出してみると、
現実は、理論と違うことがわかります。
波があったり、急流があったり、
木が流れてきたりして、
「理論通りにはいかない」
ものだったりします。
特に、研修などの学びは、
基本的に、”汎用化”されたもの、
多くの人のために”標準化”されたものですから、
すべてのパターンに100%当てはまるものではなかったりするもの。
何か学びに参加した時に、
「それさえやれば、全て解決できる」
という魔法の杖はなく、
がゆえに
「理論」→「実践」→「理論」→「実践」→、
の延々たるループの中で少しずつコツを掴んでいく、
このスタンスを片時も離さないことが
重要なのであろう、
そう思うのです。
すなわち、
『学んだら、必ず実践をする場をつくる』
このことが非常に大事になるのです。
■かつ、更に言うのであれば。
実際の「学んだこと」を実践しつつ、
そのやり方があっているか、
間違っているか指摘してくれる人、
道を示してくれる人がいれば、なお素晴らしい。
”やっているつもり、で、
実はできていないこと”
これまたかなり多いのです。
だから、前を歩む人から、
フィードバックをもらえることが、
非常に大事になるのです。
だからこそ、
『フィードバックをもらえる、師匠を見つける』
これまた大事な要素である、
そう思うのです。
■私自身、現在の仕事での役割でも、
またサムライ塾なる学びの場の、
運営リーダーとしても、
「10回、20回と聞いていたはずなのに、
全くできていない」
ということを痛感させられています。
学んだことは、
やらねばわからぬ。
”知っている”を”している”にするは、
「畳の上の水練」ではならない。
実際の、生々しい現実の場で、
時に傷を負いながら、噛み締めなければ
自分のものにならない。
そんな事実をしかと見つめつつ
「している」への道を歩みたいものだ、
自戒と共に、そう強く思う次第です。