1300回、メルマガを書き続けて思うこと
(本日のお話 1774文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は社内にて終日、事務作業などでした。
さて、本日ですが、
メルマガを初めて1300号目となりました!
約4年前に初めて、1日も休むことなく
ひたすら毎日、メルマガを発信し続けてまいりました。
「なぜ毎日こんなこと(メルマガ)をやっているのか?」
とよく聞かれるのですが、思っている正直な気持ちを、
今日は皆様に、ご共有させていただければと思います。
タイトルは、
「1300回、メルマガを書き続けて思うこと」。
それでは、どうぞ。
■メルマガを書いていると、
よく、こんな質問を頂きます。
よく頂くトップ5は、以下の5つ。
「メルマガを書くの大変じゃないか?」
「いつ書いているのか?」
「書き溜めしているのか?」
「あの文末の“名言”はどうやって集めているのか?」
「なんで始めようとおもったのか?」
こういった”変わったこと”
(メルマガ毎日配信。しかも長い)をしていると、
やっぱり不思議がられる事が多いです。
いくつか、質問にお答えしつつ、
思うところお伝えしたいと思います。
■まず、「メルマガを書くのは大変じゃないか?」について。
毎日書くのは、今でこそ慣れましたが、
初めて3年位経つまでは、結構大変でした。
でも、やり続けると慣れるものです。
1000日を超えて、だいぶ楽に賭けるようになりました。
書き終わった後は、”デトックス”的な爽快感があります。
そして、「メルマガ書き溜めしているのか?」について。
このメルマガは、書き溜めなどはしておらず、
毎日朝、その時に思ったこと、前日得た学びなどを
その都度書いています。
なので、当然、ネタが浮かばないこともある。
テンションが上がらないときもあるし、
体調が良くないときも、やっぱりあります。
そして、以前は8時に送っていましたが、
最近ルールがゆるくなってしまい、
朝9時くらいになっています。
やはり、一回ルールを甘くすると、
どんどん基準が下がっていく。
その恐ろしさを感じている今日このごろです。
(今日から、修正して朝8:00送信に戻します)
■なんて、書いていると、
「これ、苦難ばかりじゃないか?」と
自分でも思ってしまうのですが、
それでも、
“「メルマガを書く」メリットは、
書かないよりも何倍もある“
と感じるのです。
私が思うメルマガを書くメリット(理由)は、
大きく2つかな、と思います。
一つは、
“「教育」ということに関わっているのは、自分の天職だと持っている。
だから、自らの学びを、皆に共有したい“
ということ。
綺麗事を言っているようですが、真面目にそう思います。
「いい話を知ってもらいたい!」と言い聞かせると、
なんだかやる気になるのです。
もう一つは、
“メルマガを書くことで、自分自身を律し、学び続ける、
「楔(くさび)」になる“
から。
これは、ある意味、
ずーっと背負い続ける戒律みたいなものです。
「メルマガを書き続ける」、という戒律。
しかしこの、
「自分を律することができる」
ということは、すごく大きいメリットなのです。
■正直、私はとても弱い人間だと思っています。
放っておくと、つい易きに流れる。
甘えてしまう。
楽な方に行きたくなる。
ダラダラして、時間を無為に過ごしたくなる。
でも、本当の本当の、“自分の本音”では、
「毎日、駆け抜けるように生きたい」
「自分に甘えず、生ききりたい」
「100%命を燃やして生きたい」
と、心の奥底で思いつづけているのです。
そう思えて1日を終えた日は、
本当に気持ちがいい。
「命を使った」という気がします。
でも、それを貫くのは、なかなかに難しい。
気分に任せていたら、とてもじゃないけど、できない。
常に戦わないと、律することができない。
だから、そんな弱き自分が、
一生懸命、毎日を生きるための「楔」として、
これ以上は易きに流れないという
生き方の基準の「防波堤」として、
「メルマガを続ける」、
ということが、自分を支えてくれている、
そう感じるのです。
だから、ネタが浮かばなくても、
書くのが億劫でも、
やっている意味に疑問が浮かんだときも、
それでも続けようと思うのです。
■自分のメッセージのレベルが、
たとえ低かったとしても。
それでも、自らの発信で、
誰かがプラスの影響を受けているのであれば、
それだけで十分な価値があるし、
そう思う人がいる限り、
自分が行うべき一つの責務ではないだろうか、
とも思います。
色々悩み、迷いながら、生きています。
モチベーションが高い、低い、
このメッセージに意味がある、ない、関係なく、
『決めたことをただただ、続けること』
『死ぬまで、ずーーっと続けること』
その過程にこそ、何かしらの意味があると、
私は思います。
その変化は毎日、目に見えないかもしれないけれど、
自分の中で「核」になるものが、練り上げられている、
そう信じて書き続けています。
そして、これを5000回、
10000回と繰り返していくからこそ、
見えてくる世界が、きっとあるのではないか、
そんなことを強く思ってやまないのです。
■そして、最後に。
こんな駄文、拙文でも、
日々(または、たまにでも)目を通していただける皆様がいること。
そのことに改めて御礼をお伝えしたいです。
皆様のご返信、ご感想に、
本当に勇気づけられています。
なかなか返信ができず恐縮ですが、
目を通し、一文一文噛み締めさせていただいています。
改めて、ありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いいたします。