PDCAを使っているのは日本だけ?!世界基準はOODA
(本日のお話 1734文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は、3件のアポイント。
ならびに昼過ぎからは、「7つの習慣」研修実施の
2日目に立会をしてまいりました。
特に製薬会社の中堅社員の方を対象に、
研修をさせていただきましたが、
皆様、真剣に(そして女性の方が特に)
身を乗り出すように参加していただいており、大変うれしく思った次第です。
とはいえ、研修の”要”とは
「終わった後、いかに継続するか」
ですので、皆様がこれから継続されていくこと、
心よりお祈りするばかりです。
そして、帰宅後、夜は友人より、
コーチング(受ける方)をスカイプにて。
*
さて、本日のお話です。
昨日、『PLANよりDOのほうが100倍大事』というタイトルで、
お伝えさせていただきましたところ、
こんなご感想をいただきました。
「最近は、経営において、
PDCAは使われなくなっているようです。
現在は、OODAが主流となっているようです」
というご感想(情報提供)でした。
(Y様、貴重なご意見、ありがとうございました!)
早速調べてみると、確かにその通り、
そしてその内容も、非常に納得できるものでした。
本日はそのお話を、皆様に共有させていただくとともに、
思うところをお伝えできればと思います。
タイトルは、
「PDCAを使っているのは日本だけ?!世界基準はOODA」。
それでは、どうぞ。
■「OODA」。
この言葉、皆様は、
お聞きになったことありますでしょうか?
聡明な皆様は「そんなの当然知っているよ」という方も
いらっしゃるかと思いますが、
私は恥ずかしながら、今回初めて聞いたのでした。
*
ちなみに「OODA」(ウーダ、と読みます)は、
以下の単語の略称です。
O(Observe)観察
O(Orient)認識
D(decide)決定
A(Act)行動
とのこと。
「PDCA」と比べると、
P(Plan)計画
D(Do)行動
C(Check)評価
A(Action)改善
その違いのイメージが付きやすいかもしれませんね。
■「OODA」では、「PDCA」と比べて、
P(Plan)計画
↓
O(Observe)観察/O(Orient)認識
になっています。
環境変化がこの上なく激しい昨今では、
「PLAN」している間に、状況が変わってしまう。
だから、「PLAN」(計画)→「DO」(行動)ではなく、
状況を「Observe」(観察)&「Orient」(認識)して、
即座に、その場で「Decide」(決定)し「Act」(行動)する。
これが重要になる、というのです。
*
昨年公開された「シン・ゴジラ」では、
ゴジラが海から現れたとき、日本政府が、
「あれは何だ?」
「陸に上がるのか??」
「専門家を呼べ!」
「第三次 ◯◯会議 招集」
などとやっている間に、
どんどんゴジラが攻めてきて、
東京がめちゃめちゃにされる、というシーンがありました。
(ご覧になられた方はイメージできると思いますが)
すなわち、状況が刻一刻と変わっているとき、
“会議室で、PLAN(計画)→DO(行動)では遅すぎる”
のです。
がゆえに、繰り返しになりますが、
どんどん状況が変わることが前提の今においては、
今の状況、環境を「観察」し、「情勢判断」をする。
そして、いち早く、「決定」をして、
その場で「アクション」をする。
そちらのほうが、昨今の経営環境にふさわしく、
結果も出しやすい。
PDCAが、「めまぐるしい環境変化が少なく」
自分と相手で交互に打ち合う、
“囲碁や将棋”とするならば、
OODAは、「めまぐるしい環境変化が前提で」
その場の状況判断に任せる必要がある
“ボクシング、バスケ、サッカー”。
そんなイメージなのでしょう。
■一説によると、
現在“PDCA”が使われているのは、
「日本だけ」などと言われています。
もう既に、欧米など、先進国で成果を出している国々は、
“OODA”を中心としたモデルに移行しているそうです。
環境変化を素早く判断し、決定し、行動する、
そんな「スピード重視モデル」に変わっている。
もし、ゆっくり会議をして、
何も決まらない日々が続いているとするならば、
それは「PDCAの罠」に嵌っているのかもしれません。
その間、競合や世界は、
どんどん先に進んでいっているかもしれません。
それは、痛みのないナイフで、
少しずつ切り取られているような
そんな危うさを感じるものです。
■そして、思うに、です。
このことは、私達個人でも、
同じことが言えるのかもしれません。
”言われたこと、決まったことを粛々とやる”
なんて仕事をしていたら、
あっという間に、過去の遺物と化してしまうかもしれません。
だからこそ、思い立ったが吉日で、
どんどんこれまでのやり方を変えていく、
今置かれた世界の状況を、自分自身の目で確かめ、
判断し、自分の行末を、自分で決めていく、
そんな姿勢こそが、この世の中をサバイブするため、
必要なのではないか、
そんな危機感を感じた次第です。