「縁なき衆生は度し難し」。”変えられることと、変えられないこと”を見極め、何に集中すべきか考える
(本日のお話 1994文字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
本日土曜日は、昨年から、
どっぷりとハマっている「サムライ塾」の塾長の自宅にて、
仲間と「戦う英語を学ぶ」ということで、
世界のベストスピーチから、
「人に伝える」
「相手の感情を動かす」
ということを学んでまいりました。
教科書や、TOEICでは乗っていないような、
生々しい部分にこそ、英語の面白さがあるということに、
初めて気がついた、大変有意義な時間でした。
英語って、奥深い。
少しストップしていましたが、
これを気にもう一度掘り下げようと思います。
*
さて、本日のお話です。
今日は、サムライ塾の塾長から聞いた
とある興味深い言葉から、
「人に学びを伝える側」として
大切にしたいメッセージについて、
学びを皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
“「縁なき衆生は度し難し」。
変えられることと、変えられないことを見極め、
何に集中すべきか考える。“
それでは、どうぞ。
■私自身、人材育成、教育に関わっていて、
大変よく聞く質問(相談)があります。
それが、
「言っても言っても、
なかなか変わらない社員がいるんです。
こういう人、どうしたらいいでしょうか?」
という話。
確かに、
現実の職場を考えたりする時、
気になるのは、俗に言う「問題児」だったりする。
「あのAさんの態度が変わればいいのに」
「他の人に悪影響を与える、彼はなんとかしたい」
乱暴な言い方ですが、
組織の「悪性のできもの」みたいな存在で、
いつも気にあるあの人。
そんな人が組織には一人、二人いるものです。
だからこそ、そんな問題児だからこそ、
難敵(=変えづらい、という意味で)
「なんとかならないかだろうか」と頭を悩ませる、
そんな状況がたくさんあるように思うわけです。
■確かに、
育成に関わる人であれば、
または、責任を持つリーダーであればこそ、
「全員を幸せにしたい」
「100人中、100人を幸せにしたい」
と思う気持ちもあることも、
当然といえば当然なのかもしれない。
しかし、やはりいろんな人がいるのです。
タイミングが合う人、
または受け止められない人など、
やっぱり、色々いる。
だから、変えようと躍起になっても、
どうしても伝えることが難しい、という人もいる。
これが現実なのです。
■では、そんな時に、どう考えればよいのか?
その時の考え方の一つとして、
こんな言葉を本日学びました。
それが、
【縁なき衆生は度し難し】
という言葉。
意味を調べてみると、以下ように説明されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『縁なき衆生は度し難し』
(えんなきしゅじょうはどしがたし)
【意味】
縁なき衆生は度し難しとは、
人の忠告を聞き入れようとしない者は、救いようがないということ。
【注釈】
「縁」とは、仏教とのつながり、仏縁の意。
「衆生」とは、すべての生物のこと。
「度す」は、仏が悟りの境地に導くという意。
すべての生物に慈悲深い仏であっても、
仏の教えを聞く機会がない者、信じようとしない者は救うことができないことから。
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とのこと。
■ちょっと、乱暴な言い方に聞こえるかもしれません。
しかしながら、人には、
”然るべきタイミング”、
先の言葉で言い換えれば「縁」というものがあるのでしょう。
そして、もし
そのタイミングに達していない人、
つまり、良い悪いは置いておいても「縁」がない人、
すなわち、こちら側の真剣な言葉を、
受け止める状態にない人については、
残念ながら、いくら一生懸命伝えても、
心に響くことは、ない。
徒労に終わったり、
むしろ、(その人にとっても)
ありがた迷惑になることだってある、
ということ。
そのことを認識した上で、
「誰に、優先的に、何を伝えるべきか」ということは、
冷静に考えてよい、考えるべきでは、
そんなことを思うのです。
■どんな労力を払ってでも、
変えてあげなければいけない、という人であれば、
しかるべく労力をかけることも、必要なのでしょう。
しかし、残念ながら、
無慈悲な言い方かもしれませんが、
私達の時間や労力には、やはり限りがあります。
その中で影響力の最大化を狙うのであれば、
「最大公約数をとりにいく」という伝え方も、
こと企業の教育など、結果に対しての「投資対効果」を考える
「人材育成」においては、重要な考えなのだろう、
そう思うわけです。
学びにはタイミングがある。
縁なき衆生は度し難し。
重ねて伝えますが、良い悪いではなく、
そういうことがある、ということ。
それも一つの考えとして、
頭に入れておくことも、大事なのではなかろうか、
そんなことを思う次第です。
もちろん、家族、友人、大切な人は、
「縁」がなかろうがなんだろうが、
無理やり「縁」を作りに行く、位の姿勢でしょうが、
あくまでも「人材育成」という視点では、
そうだろう、と思います。