松陰先生の「士規七則」より学ぶ「読み、学ぶこと」がいかに大切か、という話
(本日のお話 2113文字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
本日土曜日は、お昼から、
「歴史の軌跡を巡る旅(東京編)」を実施。
私が昨年から学んでいる私塾
「サムライ塾」の仲間とともに行ってまいりました。
東京に住んで早10数年。
歴史のことは(それなりには)
学んだつもりでした。
が、本日改めて感じたことは、
自分の無知さ。ただそれのみ。
普段、自分がよく足を運ぶ場所にも関わらず、
全く知らないエピソードばかり。
あまり知られていないけれども、
歴史の重要な舞台になったところが、
「これほどたくさんあるのか」と知り、
もっともっと学ばねば、学びたい!
という想いを醸成した1日でした。
*
さて、本日のお話です。
本日は、そんな「歴史の軌跡巡りの旅」より。
『松陰神社』(東京都世田谷区)
を訪れ、感じたことについて、
皆様に思うところをご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
『松陰先生の「士規七則」より学ぶ「読み、学ぶこと」がいかに大切か、という話』。
それでは、どうぞ。
■東京都世田谷区。
東急世田谷線というローカル線に乗り
「松陰神社前駅」で降り。歩くこと5分。
そこには、
幕末の教育者であり、思想家として有名な、
吉田松陰先生が祀られている『松陰神社』があります。
吉田松陰と言えば、
明治維新につながる幕末の志士たちの師としても
大変な有名人ですね。
その弟子は、伊藤博文、山縣有朋、
高杉晋作、木戸孝允など
歴史上の超重要人物であり、それらを生み出した
「松下村塾」は”奇跡の私塾”とも呼ばれています。
■そんな松陰先生が書き残した、
『士規七則』
(しきしちそく)
という武士の心得、
人としての生き方などを書き表したものがあります。
今回、墓石の前で、皆で音読をしてみたのですが、
その内容がとても感銘を受けるものでした。
ちなみに、その内容(現代語訳)は、
以下のようなものです。
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『士規七則』(松陰二十六歳時)より一部抜粋
書物を開けば、そこに人間が学ぶべき立派な言葉を見ることができる。
しかもその内容は、読む者の心を打つのである。
考えるに、人々は折角の書物を読もうとせず、
仮に読んだ者でも、その読んで得た知識を行動に表すことをしない。
真実、書物を読んで、その知識を実践したならば
幾千万年にわたって実践したとしても、実践しつくすことは出来ないのである。
(中略)
一、 人間でありながら、古今の出来事に暗く、聖賢の教えを先生としない者は、
心の賤しい男である。読書を好み、昔の賢者を友とすることは、
君子のなすべき事である。
引用:吉田松陰『士気七則』より
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■さて、いかがでしょうか。
私は、上記の部分を読み、
身につまされる思いがして、なりませんでした。
これを書いた時、松陰先生、わずか26歳。
武士として、人として
「志を立てる」ことは第一であり、
当然のことです。
その上で、です。
もう一つの当然として、
・古今の出来事に明るくあり
・読書を好むこと
これも必須である、つまり、
「やらないと何事も成すことができない」
と戒めているわけです。
■「本を読む」というのは、
今も昔も言われ続けている大事な学びの方法の一つ。
“何をいまさら”感も、あるでしょう。
しかし、思うのが、
【どれほどのレベル(深さ、広さ、ペース)で読み、学んでいるのか】
ということ。
このことについて、私も含め、
全然足りていない、
と思ったのです。
夢を語るのは、ある意味、簡単です。
こうしたいんです。
ああなりたいです。
何か事を成し遂げたいです、
そう言うだけは、誰でもできる。
しかしながら、では、
『そのために、「どれほどの学び」をしているのか』
と問うた時に、
「ネットで読んだくらい」
「名前くらいは聞いたことあります」
などでは、甚だ足りず、率直に言ってしまえば、
「ちゃんちゃらおかしい」ということ。
■「志」「夢」「目標」「ミッション」。
言葉はどんな表現でもよい。
しかし、
「こうしたい」と自分が語ったり、
掲げることを形にするためには、思いだけでは、足りない。
相応の「学」「知識」があってこそ、
始めて形にすることができる。
逆に言えば、それがなければ、
いくら熱い思いをいっても、
究極には形にすることなど出来ない、
現に本当に活躍しているどんな社長も、
現代の偉人賢人も、ビジネスマンも、
やっぱりすごく博識なのです。
そんな当たり前だけれども、厳しい事実を、
松陰先生の『士規七則』より、戒められている、
そんなことを感じたのでした。
■歴史を知れば知るほど、学べば学ぶほど、
”世を動かしてきた志士達が、
いかに勉強していたか“
ということに気付かされます。
何かを語るのであれば、
何か成し遂げたい事を持つのであれば。
子供の夢物語から、
実現可能な「魂の入ったビジョン」にしようと
心より願うのであれば。
「深く学ぶこと」は、
絶対に、絶対に必須である。
そのようなスタンスを持つことこそ
「君子に必須の学び」なのであり、
夢を形にすることができるのであろう、
そんなことを、自戒を込めて、
強く思った次第です。