人が”己の殻“を破るためは、「啐啄(そったく)同時」が重要である、という話
(今日のお話 2056字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は一件のアポイント。
ならびに、電話会議、ミーティングなど。
夜は、プライベートでの最も力を入れている活動
「サムライ塾」という学びの場の、採用面談でした。
*
さて、本日の話です。
最近つくづく思うのが、
やっぱり私のライフワークは、
「教育しかないな」と感じます。
人が、新しい知識や考え方を得て、
持っている可能性を発揮できるということは、
本当に素晴らしいことだなぁ、と思うし、
何よりも私自身が、
ウルトラマラソン、トライアスロン、
英語(これはまだまだですが)
歴史へなどの苦手な教養、などなどを学び、
知識を得て、世界が広がる感覚が
たまらなく気持ちが良い、と感じるから。
そしてその活動の一環として行っている
「サムライ塾」の活動で、昨日、採用面談を通じて、
思うところがありました。
今日は、その気づきについて、
みなさまご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
「人が”己の殻“を破るためは、
”啐啄(そったく)同時”が重要である、という話」。
それでは、どうぞ。
■人は、“自分の力”で立ち、
運命を切り開かねばならない。
と同時に、
“誰かのサポート”がなくては、
生きていけないし、
伸びることもできない。
この2つの言葉は、
一見相反するようですが、
どちらも重要な“成長の要素”です。
人が、その人の可能性を発現するためには、
もちろん「自力」があってこそ。
でも、「他力」があってこそ、
その成長が後押しされ、実現される。
このことは、
有名選手とコーチの関係などから見ても、
1つの事実ではなかろうかと思います。
■さて、こんな
「自力」と「他力」の関係について、
『啐啄同時』(そったくどうじ)
という言葉があります。
この言葉の意味は、辞書で調べると
“啐啄同時 = 何かをするのに絶妙なタイミングを指す表現。“
と書かれています。
そして、その語源は禅の言葉であり、
以下のような由来がある、と言われます。
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『啐啄同時』(そったくどうじ)
「そつ」は雛が内側からたまごのからをつつくこと。
「たく」は親鳥が外側からからをつつくことを言います。
ひなは自分のくちばしでたまごの殻をつつき、生まれてきます。
少しずつ時間をかけて自分で自分の殻を割っていく。
親鳥は子どものペースに合わせて、
それを応援する意味で、外から殻をつついてやる。
ひながまだつつこうとしていないのに、
親鳥が先につついて(からを破ってしまっては)ひなは生まれられない。
つまり、親鳥と雛のタイミングが合うと、
雛がスムーズに生まれる(たまごから出てこられる)という意味。
この意味で、禅で、機が熟して悟りを開こうとしている弟子に
師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くこと。
という意味を持つ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とのこと。
■この話から、思うことがあります。
それは、この話にもある通り、
「人のサポートは、”手を差し伸べるべきタイミング”がある」
ということ。
私自身、教育業界に働き、
いろいろな方に、自分の仕事やプライベート、
人生全般を良くするための考え方、スキルを提供しています。
しかし、全員が変わるわけでは、ない。
やはり、人には、
”受け取るべきタイミング“
があり、それはコントロールできないのです。
いつ伸びるか、殻を破るかは、
その人の想いと経験、状況、
それらに委ねられていると思うのです。
いくらこちらの方が情熱的に、
「今の成長のタイミングだ」
「今、変わるべきときだ」
「この話を知っていたら、絶対役に立つ」
と言ったとしても、
“その人自身が、「殻」を破ろうとしているタイミング”
”「殻」を破るに値した経験、能力”
を身に着けていなければ、
どれだけ素晴らしい言葉も、こちらの本気度も、
その人を思って言った深い示唆も、
空虚なものと化してしまう。
いい悪いではなく、
それが事実ではなかろうか、
と思うのです。
■人には、それぞれタイミングがある。
だからこそ、
「殻を破りたい」という想いと、
そこに至るまでの叱るべきステップを踏んでいて
(殻を破る力を得つつあり)、
でも、
「それでも足りない」
というときに、
「スッ」と手を差し伸べること。
それこそが相手の立場に立った、
あるべき教育の姿ではなかろうか、
そんなことを思ったのです。
人材開発に関わられる皆様、
また、部下、後輩、友人、子供など
育てたいと思う人がいる方も、
きっと、葛藤があるかと思います。
しかしながら、その気持ちと同時に、
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本人が、”「学び」を受け取れるタイミングかどうか”を考える。
今が、「啐啄(そったく)同時」のタイミングかを考える。
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このことが、
本当に効果的な教育のために、
重要なことではなかろうか、
そのように思った次第です。