江戸の寺子屋から学ぶ、 「学びのバトン」を渡し続けることが、大きなうねりとなる話
(今日のお話 2035字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日金曜日は終日社内にて仕事。
また夜は「幕末勉強会」というプライベートな勉強会に参加し、
幕末について、皆でディスカッションしてきました。
今日はそこで語り合った内容について、
共有させていただくとともに、
”江戸の寺子屋から学ぶ、
「学びのバトン」を渡し続けることが、大きなうねりとなる話”
というタイトルで、感じたことを
お伝えさせていただきたいと思います。
(歴史の話をお伝えしますが、事実と違う解釈があるかもしれません。
紀藤の個人的な理解ですので、予めご容赦くださいませ)
それではどうぞ。
■昨日の幕末勉強会。
世界でも注目される出来事、
「明治維新がなぜ起こったのか?」
について皆で話をしていました。
若い志士達が結束して成し遂げたという、
この無血革命とも言えるこの出来事。
皆で仮説を立て、
ふと湧いてきた大きな疑問が、
「なぜ、鎖国時代の志士達が、
同時多発的に、国のことを憂いて立ち上がったのか?」
ということでした。
■確かに、1830年~60年当時は
インフラも整っていませんでした。
地方から江戸へと上京するだけでも、
1ヶ月とかかっていた時代です。
情報についても、今のように
インターネットがあるわけでもありません。
手紙も、1ヶ月かかります。
そして、国は鎖国。
情報もなかなか得ることができなかった。
なのにも関わらず、
「このままでは、日本は、
(阿片戦争で西欧諸国に乗っ取られた)中国のようになってしまう。
これはやばいぞ」
と考え、日本全国多くの藩で、立場を超えて、
皆が立ち上がる機運になったのか。
そんなことが「不思議だよね」と
皆で意見を交わしていたのでした。
■その理由には、色々な意見があるのでしょう。
全員が歴史の専門家ではないので、
あくまでも素人考えではあります。
が、その中で、
仮設としてでてきたことが、
「”寺子屋”の存在ではないか?」
という話でした。
*
いつの時代にも、影響力のある人はいます。
当時の日本で言えば、
勝海舟。佐久間象山。吉田松陰。
彼らは、海外の情報を見聞きし、学び
当時の日本が置かれている状況を、大局的に見ていました。
そして、そういった影響力のある人物は、
どの世界にもいました。
しかし、疑問は、
「一部の優秀な人たちだけでなく、
末端の人までがどうして高い意識を持ちえたのか?」
ということ。
それを考えたときに、
当時の日本で着目すべきことは、
「寺子屋」の存在があることで、
たとえ農民など階級が低い身分の立場だったとしても、
「読み・書き・算盤(計算)」
ができたということではないか、
そんな話だったのです。
実際この制度のおかげで、
江戸時代・明治初期における識字率は
世界最高水準にあったと言われていたそう。
1850年頃の識字率は、
日本の江戸 70-86%、
イギリスの都市 20-25%
フランス 1.4%
ロシアのモスクワ 20%
というように群を抜いていたようなのです。
※参考:ウィキペディア「寺子屋」より
■そして、ここから学ぶことは、何か?
それは、
「人からの学びを、
人づてによる、学びの連鎖によって、
大きなうねりにすることができる」
ということ。
■そもそも、寺子屋とは
「町の小さな私塾」のようなもの。
だから立派な教授が教える大学ではなく、
少し先行く人(手習い師匠というそうです)が、
自分が学んだことを伝える、学びの小屋のようなものだと言われています。
だから、そんなにすごい知識を
教えていたわけではないのでしょう。
それでも、「寺子屋」という学びの場によって、
・”自らが学んだこと、考えたことを伝えること”
”・次の人へ、学びのバトンを渡すこと”
そういった「学びの連鎖」こそに
素晴らしき価値があったのではないか。
そして、その仕組みによって、
波紋のように、日本の危機意識を高めていたのかもしれない、
そんな意見が出てきたのでした。
(注:あくまでもディスカッションで出た仮設です。)
■そして、時代こそ違えども、
「学びの連鎖が生み出す価値」は
現代も同じことが言えるのでしょう。
私たちは、発信することで
誰かに影響を与えることができます。
そして、いつの時代も、どの分野でも
「先を行く人」と「後を追う人(まだ気づいていない人)」
が、いるものです。
かつ、願わくは
多くの人が問題意識を持ったり、
より社会全体をよくするために前向きに取り組む流れを作ったりしたいもの。
そんなとき、
【”自らが学んだこと、考えたことを発信すること”
”次の人へ、学びのバトンを渡すこと”】
ということは、とても重要なことではないか、
と思うわけです。
誰もが、弟子であり、師匠になり得る。
そんな想いを持ちながら、
学び、教える社会を、全体でできたら素敵だな、
などと思い馳せた夜でした。
と、とりとめもなくなってしまいましたが、
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自らが学んだことを人へ伝える。
学びのバトンを次の人へ渡す。
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このことがもたらす影響を、
今一度深く考えてみてはどうだろうか、
そう思う次第です。