子供になる。できないことにチャレンジし続けることで、人生は長く光り輝く
(今日のお話 1782文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は、3件のアポイント。
並びに、第8の習慣公開コースのオブザーブに
お越しいただいたご担当者様とディスカッションなど。
また夜は、テニススクールでした。
ウルトラマラソンや、
スイムスクールなどに行っていますが、
本当は、テニスが何よりも好きです。
ただ、東京はテニスコートがないため、
結局、ランニングが1番しやすい運動で、
走ることを選んでいるなぁと感じます。
改めて、なぜ
「エグゼクティブがランニング好き」なのか
何となくわかった気がしました。
(手間がかからない、すぐできる、
時間対効果が高い、などでしょう)
*
さて、本日の話です。
先日、インターネットのニュースでこんな記事を見つけました。
『人生は20歳で、半分終わっている』
事を示す法則がある、という話。
人生を体感速度で考え、
人生80年と考えた場合、
”0歳から19歳までの人生の体感値と
20歳から80歳までの人生の体感値はほぼ同じである”
そんな結果がわかった、というお話でした。
(ジャネーの法則、というらしいです)
今日は、その話に対して、
感じたことについて、思うところについて、
(若干の反論と共に)ご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
「子供になる。できないことにチャレンジし続けることで、人生は長く光り輝く」
それでは、どうぞ。
■私の友人で、小さな娘さんがいる
ちょっと見た目のごついお父さんがいます。
その彼が語った話が印象出来でした。
「子供の頃は、生きることよりも、
できないことの方が多い。
算数のテストだって
新しく覚える授業だって、
自転車に乗ることだって、
全部、未体験のことであり、
全てがチャレンジ。
だからこそ、「失敗」が普通。
しかし、大人になると逆になる。
できないことよりも、
「できること」ばかりする。
本当はできないことはいっぱいあるのに
「できること」の範囲内だけで、生きようとする。
それで、大体多くのそうなった大人は
みんな、老け込んでいく」
そんな話でした。
■私は、この話を聞いて
「そうだよな」、と大変納得するとともに、
冒頭にお伝えした
「人生は20歳までで半分終わっている」
とする”ジャネーの法則”なるお話に、
若干の反発を感じたのでした。
人生の密度とは、
『体感の密度であり、思い出の密度である』
とするのは確かにその通り。
それは幼き頃は、
私の友人が語った
「チャレンジの連続だから、1日が濃密」
であることも、
多少なりとも関わっているのでは、
と思うのです。
1日1日が、一瞬一瞬が
惰性じゃなく、なんとなくでないこと。
すなわち、変化感、刺激の多さ
「何もない1日などなかった感」が、
”人生の濃さ”に影響するのではないか、
と感じるのです。
■そして、別に、
お金持ちで色々旅行に行ける、
などではなく
”自分ができないことに、
夢を持ちチャレンジをしている瞬間”
というのは、
大変かもしれないけれど、
一瞬一瞬が冒険であり、
思い出が残る瞬間なのではないか、と思うのです。
だから、仕事の仲間と、
古き良き思い出話をするとき、
「あの時は本当に大変だった」
「あの事業の立ち上げの時は、
本当にみんな頑張ったよな」
「ウルトラマラソンは、
練習も含めて本当にきつかった」
という、セリフが出てくるのでしょう。
そして同時に、その、
「きつかった」
「大変だった」
という言葉の影には、
懐かしい思い出とともに、
誇らしく感じる”濃密な人生”が、
含まれていると思うのです。
■人生が、あっという間に進むように感じるのは、
もしかすると、
「惰性で行動しているから」
ということもあるのかもしれません。
個人的に人生100年などと言われている時代に、
”人生は20歳で半分終わっている”
なんて、悲しすぎです。
だからこそ、暑苦しい話のようですが、
人生をより充実させて、生きたいと願うのであれば
一瞬一瞬をチャレンジの連続にし、
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できることでなく、できないことの範囲内で生きる
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ことが、大変重要なのではないか
と思うのです。
チャレンジする時、人の命は光輝きます。
『子供になり、できないことにチャレンジし続けることで、人生は長く光り輝く』
私はそう思います。