100キロウルトラマラソン体験記 ―今この一歩に、魂を込める―
(今日のお話 2854文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日、日曜日は、
長野県の野辺山にて、ウルトラマラソン100キロのレースに、
友人14名と共に参加してきました。
一般的には、あまり
「ウルトラマラソンとは何か?」というものが知られていないため、
どういった競技なのかを改めて紹介すると共に、
レースを通じて感じた学びを、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
「100キロマラソン体験記 ~今この一歩に、魂を込める~」。
それでは、どうぞ。
(長いです、予めご了承ください)
■ウルトラマラソン。
いつからかマラソンがブームになり、
いたるところで走る人を見かけるようになりました。
「走る」ことができるようになると、
人はチャレンジしたくなるものです。
初めはハーフマラソン21キロ。
そして次はフルマラソン42キロ。
そしてそれらも達成すると
次のステップとして、
”より高い挑戦”をしたくなることがあるようです。
70キロとか、100キロとか、
(中には160キロとか400キロランというレースもあるそう)
そんな気違い的なレースに出場する人が、
ちらほら出てくるのです。
おそらく、それは
「自分への挑戦」とか、
「自分の可能性を試したい」とか、
はたまた私のように
「友人に強制的に引っ張り込まれた」など(汗)
様々理由はあるのでしょう。
■そんな背景を踏まえ、
今回の野辺山ウルトラマラソン100キロ。
このレースの舞台の「野辺山」は
日本で最も標高が高いJRの駅として有名な場所です。
そして「野辺山ウルトラマラソン」は、
日本にあるウルトラマラソンの中でも、
その高低差とアップダウンの激しいコースから、
”最も完走が難しい”と言われているレースの一つです。
そして無謀にも、その大会に参加をすることにしたのが、去年の11月でした。
きっかけは、繰り返しますが、
何かと人を巻き込むのが上手な赤羽氏という友人のせい。
(ちなみに、彼のウルトラマラソンのブログは、超絶に面白いです。
よろしければ、ぜひご覧になられてみてください。
ものすごく、オススメです。
私は前日読みながら、一人感動して涙しました。
(まだ走ってないのに)
【日本一赤裸々な野辺山100kmウルトラマラソン日記】)
■さて、レース当日の朝
5月21日(日)の朝2時に起床し、
朝5時のスタートを待ちます。
外はまだ暗い。
また山の朝は寒く、
ゴミ袋被って寒さをしのいでいる人もちらほら。
そして、朝日が差し込む明け方5時がやってきます。
一旦レースがスタートしたら最後、
・走り切るか、
・リタイヤするか、
・それとも関門に引っかかり、強制終了か。
その三択のどれかしかありません。
しかも、頼っても、
助けを求めても、
誰も助けてくれるわけではない。
キツくても、辞めたくなっても、
歩きたくなっても、泣きたくなっても、
1人で全部引き受けて、
そしてどうするか選択しかもなければいけない。
それがマラソンの厳しさです。
■私も先週痛め、鍼治療でごまかした腰を抱えながら、
とりあえずスタートします。
走り始めは元気です。
快調に10キロ、20キロと走っていく。
しかし時間が立つに連れ、
太陽が高くなり、気温が上昇していきます。
走った距離が増えるにつれ、
足に溜まった乳酸も増えます。
そして外は、この時期には珍しい
気温30℃を超える強烈な暑さ。
そして消化できないおにぎりと、
栄養剤が混ざって、
常に吐きそうな感覚になりながら、
とにかく走り続けるのです。
でも前に進む。
42キロまでたどり着き、
ホッとしたのもつかの間。
そこからさらに60キロ走らなければいけません。
時間はまだ10時過ぎ。
これからもっと、外は暑くなる。
体力も、もっとなくなってゆく。
その先の道のりを想像し、
不安に囚われます。
「一体、あと、どれほどの苦痛を味わえばよいのか」
と。
■そして走り続けます。
50キロの折り返し地点に、差し掛かります。
正午の日差しが照りつける51-70キロ。
水を被りながら、ただただ、走り続ける。
周りを見ると、フラフラして、
今にも倒れそうな人が、チラホラ見えます。
でも、走る、走る。
気持ちが折れたら、そこで”負け”なのです。
*
そしてついに70キロ地点。
「馬越峠」(まごえとうげ)という、
”馬じゃないと越えられない峠”を表すような、
危険な臭いする名前の、激坂が70-77キロが待っています。
そこでは多くのランナーが、
走ることもできず、ゾンビのごとく
フラフラと歩く。
歩いていると、悪魔がささやきます。
「周りが歩いているよ。
お前も歩けばいいじゃないか」
その誘惑に負けて、
歩くことを選択したくなる。
でも、甘えたら、
出しきらなかったことに、
きっと後悔する。
その誘惑に抵抗し、
フラフラになりながらも、
なんとか走ります。
ほとんどスピードはなくとも、
とにかく、走ろうとする。
それだけは守ろうと、
自分に言い聞かせつづける。
ふと周りを見ると、
道端で倒れている人もいれば、
オエっといいながら、
脇道でかがみこんでいる人もいます。
しかし、誰もサポートはできません。
皆、自分との戦いで精一杯だから、
自分で乗り越えるしかないのです。
■そして、登りきれば、
最後20キロです。
登ってきた山を駆け下りること10キロ。
前の腿がつりそうになります。
でも、つらない限界のレベルで、
ただただ、走る。
そして、90キロへ到達。
ここから、最後の登り。
胃もやられ、お腹も痛く、気持ち悪く、
常に胃酸が逆流してきます。
足はつりそうだし、
歩く度に痛い。
多分、爪はおかしいことになっていると、
その一歩の感覚でわかります。
でも、
「あと少し、あと少し」、
と言い聞かせ、ひたすら前に足を出す。
前を見ると、
延々続くまっすぐな道に心が折れそうになる。
だから、
”自分が踏み出す一歩に集中しよう”
”前の人の背中に追いつこう”
それだけ考え、前へ前へと進んでいく。
「辛くても、いつか終わる」
そう何度自分に言い聞かせ続けたことか。
そして、だんだんと、
終わりが近づきます。
■ゴールに近づくに連れ、
会場の歓声が聞こえてきます。
最後、2キロ、1キロ、
500メートルづくにつれ、
声が大きくなります。
「2596番、紀藤さん、帰ってきました!」
と会場アナウンサーが、
一人ひとりのランナーの名前を呼んでいるのが
聞こえます。
曲がり角を曲がって、
ゴールのゲートを見た瞬間、
思わず目が熱くなります。
そして、ついに長い長い旅路が終わりました。
時間は、12時間26分。
朝5時20分にスタートして、
17時46分まで走り尽くしました。
無事完走できただけでなく、
自己ベストのタイム。
一緒に出場した仲間14人の中では
最高の成績でした。
■こうやって、ウルトラマラソンの体験を、
振り返りながら、描かせて頂き、一つ強く思うことがあります。
それは、多分、人生にも、
仕事にも大切な、”黄金率”とも呼べるものかもしれません。
それは、
『果てしなく長い距離を走りきるには、
”目の前の一歩一歩”を、ただただ積み重ねる』
こと。
このことが、いかに大切か、
ということでした。
100キロという、
途方もないと思われる距離も、
「あと4キロ、次のエイド(補給所)まで走ろう」
「あと1キロ、まずは走ろう」
そう小さな目標をたて、
それを達成するために、
『”次の一歩”に、魂を込めよう』
と言い聞かせる。
足の平、指、身体の動かし方、
それらにひたすら、意識を集中させる。
そして後はそれを、
10数万歩、ひたすら、繰り返す。
そうすれば、いずれゴールにたどり着くはず。
■「人生はマラソンである」
なんて例えられることがありますが、
本当にその通りです。
10年後の未来は分からない。
将来に不安があるかもしれない。
この期末、どうなるか心配でならない。
それでも、私たちに与えられているのは、
『今、この瞬間の一歩』
でしかありません。
できることは、この1日を
いかに生ききるか。
いかにやりきるか、だと思うのです。
その一歩一歩を、妥協せず、
やり遂げられた人だけが、
きっと、自分のゴールにたどり着くことができる、
当たり前の話かもしれませんが、
私は、そのように思います。
【今この一歩に、魂を込める】
私たちにできることは、
ただ、それだけなのだ、
そのことを、これからも
ずっと意識していきたい、
そう思った次第です。