諦めという名の「停止ボタン」に負けない工夫
(今日のお話 2357字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は新入社員「ディスカバリー」の実施立ち会いで、
宇都宮に行ってきました。
そして午後からは東京に戻り、
2ヶ月前からスタートしている戦略実行のコンサルティング。
世の中は新入社員ラッシュです。
フレッシュな若者をみて、身が引き締まる思いです。
本日も、引き続きディスカバリー研修、
立ち会ってまいります。
*
さて、本日のお話です。
この1ヶ月、ランニングの練習を
頻繁にするようにしています。
それは、来月に実施されるウルトラマラソンの練習のため。
その練習の中で、ふと、気づくことがありました。
今日は、
”諦めという名の「停止ボタン」に負けない工夫”
というタイトルで、
「習慣化」「やりきること」に関するエッセンスについて、
思うところをお伝えさせていただければと思います。
それではどうぞ。
■昨日の週末のお話。
ジムにあるランニングマシンで走っていました。
来月にある野辺山ウルトラマラソン100キロは、
累積標高差2‚000メートルと言う、
長い距離を走りつつも、山を登ったり降りたりするという、
ハードなコースとして有名です。
だから、長時間登りを乗り越えられるだけの体力をつけるために、
先日はそのランニングマシンの機能で、
「傾斜を7度つけて走る」、
ということをやりました。
7度といってもよくわからないかもしれませんが、
イメージで言うとスキーのゲレンデの初級コースくらいでしょうか。
「いや、大したことないじゃん」
と思われる方もいるかもしれませんが、
数キロ走ってみると、結構しんどいのです。
走り始めて1キロすると心臓がバクバク。
5キロ走った時はもう汗だくになって
「あーしんどい、もうやめたいやめたい」
という気持ちで、
いっぱいになっておりました。
結局、本当だったら10キロ走ろうと思っていたところ、
自分に負けてしまい、8キロで終了。
練習にはなったものの、
やりきれなかった”負けた感”を感じつつ、
ランニングマシンを背にしたのでした。
■この瞬間、ふと思うことがありました。
ランニングマシンは、途中でリタイヤしてしまった。
でも、そういえば、
その前の週、そして3週間前は、
大会でもないのに、一人で42キロ走った。
どちらも、同じようにきつかったのに、
フルマラソンは達成できて、
ランニングマシンは達成できなかった(=やりきれなかった)
わけです。
はて、この違いは、何なのだろうか?
何が「”やりきった、やりきれなかった”の違い」
を生み出したのだろうか、
そのことを考えたときに、
気づくことがあったのです。
それが、
『目の前に停止ボタンがあるかどうか』
ということ。
状況はこんな感じでした。
1人フルマラソンは、
川沿いに遠くに走っていったため、
一旦遠くへいったら、交通手段がないため、
”強制的に走って戻ってこなければいけない”
という状況。
一方、ランニングマシンでの、急勾配の練習は、
”目の前に「停止ボタン」があり、
いつ停止しても誰もお咎めないし、困りもしない”
という状況だったのです。
実は、この、
『目の前に停止ボタンがあるかどうか』
ということは、
私達の「やりきれるか否か」に、
大きな影響与えているのでは、
と思ったのです。
■基本的に、”チャレンジ”というものは、
ちょっと大変なこと、負荷がかかること、面倒臭い事、
をやらなければいけません。
英語の勉強もそう。
ダイエットのためのランニングもそう。
健康のための食事制限もそう。
自分の”日常の延長線上とは違う行動”をするから、
当然、負担感もやっぱり感じるものです。
だから、疲れている時などは、
やめたくなることもあるのです。
そうすると、
「今日は、ちょっと体がしんどいしなぁ」とか
「今週はがんばったから、やんなくてもいいかなぁ」みたいな、
何かしら”言い訳”とか、”誘惑”が
心の隅から沸き起こるのです。
そんなときに、
「キャンセルしてもお咎めなし」
「別に行っても行かなくてもいい」
「つづけなくとも別に困らない」
というような、
”『停止ボタン』が、目の前にある”
としたら。
きっと、毎瞬間毎瞬間、
押したくて押したくて仕方なくなるのではないか、
そして、耐えきれずつい押してしまう、
そして、「停止ボタン」を押した自分に対して、
「あー、今回もやり切れなかった」という
鈍い痛みを抱えてしまう。
そんなことがあるのではなかろうか、
と思ったわけです。
■これらのことを考え、
思うことがありました。
それは、
続けるための秘訣の一つとして、
【「停止ボタン」を目の前から消し去ること】
これが重要ではなかろうか、
そう、思ったのです。
楽しいことだったらいいけれども、
チャレンジフルな活動は、
その負荷の高さ故、辞めたくなることもあるでしょう。
時に「停止ボタン」を押したくなることも、
あるかもしれません。
とすると、
目の前から「停止ボタン」をなくす工夫をする
必要があると思うのです。
例えば、
・身銭を切って抜けられない
「塾」みたいなものに飛び込む。
(=ライザップとか英語塾とか)
・仲間を作り、宣言し合う
(=皆がみてると停止ボタンを押しづらい)
・大会など、期限を決めて、
そこまでにやらざるを得ない状況を作る
みたいなものでしょう。
「もうお金払っちゃったし」
「皆にやるっていっちゃったし」
「大会、否応無しにも近づいてくるし」
些細なようだけれども、確かに効く、
”「停止ボタン」を押しづらい工夫”
これらを活用することが重要ではなだろうか、
そう思うわけです。
人はつい怠けたくなる、
自分に甘くなってしまう生き物。
でも、甘くなったり怠けたりすると、
それはそれで罪悪感を覚えるもの。
だからこそ、
「目の前の停止ボタン」に負けないための工夫、
【諦めという名の「停止ボタン」に負けない工夫】
を考え、取り入れることが大切なのではなかろうか、
そんなことを思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって素晴らしい1日になりますように。""