”当たり前の基準”とは、体験によって書き換えられる
(今日のお話 1556字/読了時間1分半)
■こんにちは。紀藤です。
三連休の最終日は、
昨日のテニススクールのメンバーとの飲み会で、
しこたまお酒を飲んでしまったので、
「デトックスをしよう!」
ということで、12時からランニング。
私は東京都北区に住んでいるので、荒川がすぐ隣にあります。
再来月、野辺山ウルトラマラソン100キロが控えているため、
その練習のため、少し厳し目に鍛えておこう、と30キロ走る予定でした。
が、走っていたら、
だんだん気分が高揚してきて、
気がつけば、結構遠くまで言ってしまい、
家についたときには、42キロ走ってしまいました。
結果、フルマラソンでした。
応援もいなければ、
タイムも残るものではないですが、
妙な達成感があり、
なかなか良い1日になりました。
さて、今日は、
マラソンにちなんだお話を、
少しご紹介させて頂きつつ、
「”当たり前の基準”とは、体験によって書き換えられる」
というタイトルで、
思うところをご共有させて頂きたいと思います。
それでは、どうぞ。
■いつからか、
ランニングはブームになり、
私の周りにも相当数走る人がいるようになりました。
きっと、メルマガを読んでいただいている皆さまも、
「ラン」がお好きな方、結構いらっしゃるかと思います。
ふと思いかえしてみれば、
初めて私がフルマラソンを走った時は、
「42キロなんて、人が走る距離じゃないし!」
と思っていました。
だから、当初は
ひいひいいいながら、なんとか6時間くらいで完走。
走り終わった後は、
家にかえるのも一苦労なくらい、
疲労困憊しておりました。
しかし、その後、
フルマラソンに何回か出るうちに、
「まあ、42キロはなんとか走れるよね」
となり、記録も4時間以内で走れるようになりました。
その後、昨年、
神奈川県の三浦半島を一周するという、
”100キロウルトラマラソン”を完走してからは、
「42キロは、練習で走れる距離」
というように、段々と
レベルアップしていったように感じています。
もちろん、これは、
「スゴいでしょ!」とか、そういう話ではなくて、
ある程度の期間、走っている人は
みんな口を揃えて同じことをいうのです。
『一回やっちゃえば、まあ、普通だよね』
と。
■思うのですが、
「こんなこと、絶対ムリ!」
というのは、それをしたことがないから、
イメージができないから、そう思うだけであること、
ままあるのではないかと思うのです。
しかし、一度トライしてみると、
考え方はガラリと変わるものです。
当然、経験によってもそうですが、
そこで出会う人によっても、
考え方が変えられたりするのです。
例えば、
「100キロウルトラマラソンなんて、誰が出るの?」
「どんな猛者たちが集合しているのか?」
なんて思っていましたが、
実際走っているのは
・多分70歳くらいのおじいちゃん
・割と若そうな女性(全身ピンクのコスチューム)
・カールおじさんのような、麦わら帽子を被ったおじさん
など、見た感じ、
普通の人が割とでていたのです。
つまり、やってみて、
経験してみると、
『あれ、意外とそんなもんなのね』
という発見があるということ。
■難しそう
自分にできるかな。
こういった
「精神的なバイアス」
「色メガネ」
は、もちろんランニングだけでなく、
あらゆるところに存在していると思います。
・難しそうな仕事、
・自分の力量を越えているように思えるプロジェクト、
・スゴい人との対話、ディスカッション
・大規模な営業の提案
「それってムリじゃね?」と
思えるようなことも、
ちょっとやってみと、”意外とできる”ということがあります。
「”当たり前の基準”とは、体験によって書き換えられる」
のです。
そして、少しでもその可能性があるのであれば。
ぜひ、自らの可能性を広げるためにも、
挑戦をし、体験を求めることがよいのではなかろうか、
そんなことを思った次第です
最後までお読みいただき、ありがとうございます。