あなたが〇〇であろうと、私には興味はない
■おはようございます。紀藤です。
少し前にご紹介させて頂いたのですが、
「スウェーデンの教科書」にある、
教育に大切なことは、
インディアンやその他の国でも、
同様なことが言われているそうです。
やはり、どの国でも
本当に大切なことについて、
言われていることは同じなのだなあ、
と改めて思いました。
■さて、今日のお話は、
ネイティブアメリカンの古老、
オリア・マウンテン・ドリーマーの詩から。
「私達にとって、大切なこと」
について考えさせられる詩です。
「誘い」
あなたが何で生計を立てていようと、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、
あなたが何で胸を痛めているか、
そしてあこがれとの出会いを夢見る勇気を持っているかどうかだ。
あなたが何歳だろうと、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、
あなたが愚か者に見えるのも覚悟のうえで、
あえて愛を、夢を、生きるという冒険をもとめるかどうかだ。
あなたの星座が何座だろうと、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、
あなたがあなた自身の悲しみの中心に触れたかどうか、
そして人生の裏切りによって心を開かれたのか、
それとも縮みあがり、さらなる苦痛を恐れて心を閉ざしてしまったのかだ。
わたしの苦痛だろうと、あなたの苦痛だろうとかまわない。
あなたが苦痛に耐えられるかどうか、
そして苦痛を隠したり、薄めたり、とりつくろったりするためにじたばたせずにいられるのかどうか知りたい。
わたしの喜びだろうと、あなたの喜びだろうとかまわない。
あなたが喜びとともにいられるかどうか知りたい。
あなたが野生とともに踊り、手足の先まで歓喜に満ちて、
わたしたちに用心せよとか、現実的になれとか、人間の限界を思い出せなどと警告せずにいられるかどうか知りたい。
あなたの話していることがほんとかどうか、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、
あなたが他人を落胆させることを恐れずに、自分に正直になれるのかどうか、
そして裏切ったと非難されても耐え、自分自身の魂を裏切らずにいられるかどうかだ。
あなたが誠実で、それゆえに信頼できる人間なのかどうか知りたい。
きれいでない日常的なもののなかに美を見いだすことができるのかどうか、
そして自分の生の源は神の存在にあると言えるのかどうか知りたい。
あなたが失敗に耐え、湖の縁に立って銀色の月の呼びかけに答えることができるのかどうか知りたい。
あなたがどこに住んでいようと、どのくらい金を持っていようと、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、
悲嘆と絶望の夜のあと、疲れ果て、骨の髄まで打ちのめされて、
それでも起きあがり、子供たちのためにせねばならぬことをなしうるかどうかだ。
あなたが何者なのか、どうやってここに来たのか、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、
わたしと一緒に炎の中心に立ち、しりごみしないかどうかだ。
どこで、誰と一緒に、何をあなたが学んだか、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、ほかのすべてが崩壊したとき、
何があなたを内から支えるかだ。
ひとりぼっちでも平気かどうか、
そして孤独なときの自分をほんとうに好きかどうか知りたい。
■詩の美しい表現にも心を打たれますが、
すべてのフレーズで一貫しているのが、
”表面的なものが取り払われたとき、何が残っているかが知りたい”
という問いかけ。とても印象的です。
普段は、このようなことは考えませんが、
今あるもの、例えば、
会社での肩書き、
自分が心血を注いてできたプロジェクト
大切にしている人
などが、突然失われたとき、
私たちの本質が垣間見える、
そのような問いかけにも感じます。
■以前に注目されましたが、
日本人の美しい部分、世界から尊敬された美徳として、
壊滅的な災害の最中にあっても、
助け合いの精神、
利他の心、
譲り合いの行為
などが注目されたことは、有名な話です。
そして、もしかすると
普段は注目されない、このような
「誠実さ」「優しさ」「正義」「勇気」
などの本質部分が、
その人の価値を決める大切な要素なのではないか、
と先ほどの詩を見ると
改めて考えさせられてしまいます。
このことを「7つの習慣」では、
【人格主義】と呼んでおり、これこそが
豊かな人生を創る上で、真に大切なことであるとしています。
■簡単なことではないですが、
情報に溢れ、スピードが早く、
どんどん変化を求められる昨今だからこそ、
「変わらない自分の軸」
を持てるよう、日々努力をしたいもの。
ネイティブアメリカンの詩から、
改めて感じた次第です。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日も素晴らしい1日になりますように。