トイレットペーパーの芯をそのままにする男になるな
(今日のお話 2032字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
ならびに夜はお世話になっている講師の方と、
「餃子の王将」にて、餃子を食べながら、
”マラソンのフォームについて語る会”(?)
でした。
私の周りではやたらランナーが多く、
私も5月に、キング・オブ・ウルトラマラソンと呼ばれる、
野辺山100キロマラソン(高低差1キロ)に出場するので、
そろそろ練習しなきゃな、
と危機感を覚えた夜でした。
頑張ろう!
*
さて、本日のお話です。
話は変わりまして、
最近よく思い出す言葉があります。
それは、私の友人が、
父親から言い聞かされ育ったという、
「トイレットペーパーの芯をそのままにする男になるな」
という教訓めいた言葉。
今日は、この言葉の意図するところをご紹介すると共に、
気づきを、皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルはそのまま、
「トイレットペーパーの芯をそのままにする男になるな」。
それでは、どうぞ。
■私の友人の1人の話。
彼は、小学生のとき、
自宅のトイレ(個室)を使い、
自分が使って紙がなくなり、
と入っても面倒くさいので
そのまま放置してトイレを後にしました。
すると、その後、
厳格で、礼儀に厳しい父親から、
こう叱られたそうです。
「トイレットペーパーの芯を
そのままにするような男にだけは、なるんじゃない」
と。
■彼の父の意図としては、
「次の人が困るってわかってるのに、
つまり、『問題に気づいている』のに、
見て見ぬふりをするのは絶対いけない」
ということでした。
トイレットペーパーを使い終わったのが自分であるならば、
または、自分が使い終わったわけではないとしても、
そこに”空の芯”があったとき、
「気付いたことを放置する」
ということを癖にしたら、ロクな人間にならない。
「トイレットペーパーの芯」という、
小さいところだからこそ、「本質」が現れる。
だからこそ、そのように、
口を酸っぱく友人の父は語っていた、
そんな話でした。
■ちなみに、私も20代前半の頃、
第二新卒で入った会社にて、
似たような話で、上司に
怒られたことをよく覚えています。
*
それは、「シュレッダー」をしていたときの話。
自分がシュレッダーをしていたとき、
「くず」がいっぱいになってしまった。
でも、その時、かなり忙しかったのです。
さっさと仕事に戻りたい。
でも、シュレッダーもしてしまいたい。
だから、「くずかご」を一端開いて、
2~3回、ぐっぐっと押し込んで、
圧縮してもうちょっと「くず」をつめてやろう、
それでシュレッダー終わらせて、仕事に戻ろう。
そうして、
とりあえずシュレッダーを完了させた
(押し込んで”くず”を無理やりつめた)のです。
さあ仕事に戻ろー!
という矢先、
それを見ていた上司から一言、
こう言われたのでした。
「お前、次の人がシュレッダーできないだろ!
”くず”を一杯にしたなら、
次の人のことを考えて、捨てとけよ!」
と。
まさしく、仰る通り。
何も言い返せず、恥ずかしくなったのでした。
(今思えば情けない話なのですが)
■とはいえ、
トイレットペーパーだって、
シュレッダーだって、
”たまたま自分のタイミングで使い切った”
”たまたま自分の番でいっぱいになった”
ということは事実。
ある意味、”貧乏くじ”かもしれない。
それでも、それこそ「マナー」として、
『気付いた人がやる』
べきだし、
それこそが「当たり前」の基準ではないか、
今ではそう思うようになっています。
■トイレットペーパー、
そしてシュレッダーの話では、
確かにその通りではないか、と思います。
しかしながら、
私たちは、このような
『気付いた人がやる』
ことを、「どれほどのレベルでできているのか?」
ということを考えたいのです。
トイレットペーパーとか、
シュレッダー、ゴミが落ちている、
これらの問題を”気付いた人”が解消することは、基本中の基本。
しかし、少しレベルを挙げてみたら、
どうなるのでしょうか。
例えば、
こんな「問題」に”気付いていた”とします。
「会社のこの会議、意味がないのでは?(みんなそう言ってる)」
「このミーティング、もっとこうした方がいいだろう。
(=いつも時間食ってばかり。良いアウトプットが生まれていない)」
「みんな、この業務システム、無駄だと思っている。
(自分を含め、誰も彼も、このシステムに愚痴を言っている)」
「この与えられた仕事は、どう見ても、無駄」
などなど。
仕事においても、おそらく、
『これ、問題ではなかろうか?』
と「気付く」こと、あると思うのです。
そして、そんな時、
「自ら声を挙げること」ができているだろうか、
そう考えてみると、意外と、
”(気付いた問題を)「見て見ぬふりをしている」”
ということ、あるのではないか、
そのように思うわけです。
■「いやいや、他の人も気付いているから、
他の人がやってくれるはず。」
もし、そう思っているのなら、
レベル感は違えども、
”トイレットペーパーの芯を放置するメンタリティ”
と同じようなもの。
(と、あえて言ってしまいますが)
色んな理由や条件の違いはあっても、
”気付いたことをそのままにする”
ということは、本来、望ましくないはず。
気付いた人がやる。
自分が問題と思ったら、自ら着手する。
当たり前の話ですが、
本当に大切なことだと思います。
そして、もしこの
「トイレットペーパーの芯を”放置しない姿勢”」が、
レベル高く、一つの組織で、皆で徹底できたとしたら、
本当によい、自己改善が高回転で行われる、
活き活きとした自律した文化が生まれるのだろう、
そんなことを思います。
「7つの習慣」でも、
『第1の習慣 主体的である』が大事といいますが、
本当にその通り。
私も、自分の思う”気付いたこと”が、
本当の問題かどうか明らかではなくとも、
そう自分で思うところがあるのであれば、
積極的に発言していきたい、否、そうしていこうと、
自分に言い聞かせている今日この頃です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日が皆さまにとって素晴らしい1日となりますように。