「人生における痛み」が、「人生という長期戦」を勝ち抜く力を与えてくれる
(今日のお話 2015字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日金曜日は、愛知にて3件のアポイント。
ならびに東京にて実施の
「4Dx(戦略実行)コンサルティング」の
立ち会いを、オンラインにて参加。
経営幹部の皆さまが、
簡単ではない問いである、
「最重要目標とは何か?」
「全てを一変させる目標とは何か?」
などについて、喧々諤々(けんけんがくがく)
お話されていらっしゃったのが、非常に印象的でした。
カオスの果てにこそ、
最良の結果の兆しが見えてくる、
そのように思います。
これからが楽しみですね。
(A社の皆様、引き続きよろしくお願いいたします!)
*
さて、本日のお話です。
昨日、愛知への出張ついでに、
実家へ帰省いたしております。
その時に、家族で色々と話しをしたのですが、
そこで考えさせられたことがありました。
本日のテーマは、
”「人生における痛み」が、「人生という長期戦」を勝ち抜く力を与えてくれる”
という内容で、皆さまに、
(我がプライベートを晒しつつ)
思うところをご共有させて頂きたいと思います。
それでは、どうぞ。
■年を取ると、自分の父母を含めた、
家族だけで集まる機会が少なくなりますね。
きっと、それは日本の家庭で、
多く起こっていることなのでしょう。
我が家もそれにもれず、
最近は会う機会が減っていました。
しかし、昨日は、久しぶりに
「紀藤家だけ」で集まったのでした。
*
ちなみに、私の家族構成は、
私35歳、姉36歳、父母65歳。
それぞれ、拠点を
東京(私)、大阪(姉)、
愛知 時々 宮崎(父母)としています。
特に私が結婚してからは、
「親戚一同」で集まることはあっても、
”父母姉を含めた4人”
では集まることはなくなっていました。
■そんな中、昨日は、実家の岡崎市にて
さほど美味しくない焼肉食べ放題を食しながら、
久しぶりの「紀藤家だけ」とのことで、
「実は中学のとき、父の勉強の指導がウザかった」(私、姉)とか
「母が貪るように本を読んでいたから、読書する習慣がついた」(私、姉)とか、
「俺(父)が子供の頃は、実はコンプレックスがあったんだ」(父)とか
「実は高校のときは、家に帰らないことがカッコイイと思っていた」(私)
などという、
”今だから言える話”を肴に、
ひとしきり盛り上がったのでした。
■その中で面白かった話が、
「父のコンプレックス」の話だったのでした。
紀藤家の父。
少し紹介させていただくと、
ありがたいことに65歳を過ぎた今も、
それなりの役職で仕事をさせていただいているらしく、
家では、割と自信家キャラです。
「俺が養っている臭」を、
今なおしばしば醸し出しています。
しかし、そんな父は言います。
「幼い頃、実は友人に対して、”勝てない”という
コンプレックスを抱えていたんだ」
と。
親しい友人は、
有名国立大学、ストレートで入社。
大手一流企業に就職。
人が羨む若い奥さんと結婚。
対して自分は、(涙)
だから、30代くらいの頃までは、
それこそ「コンプレックス」に苛まれてばかりでいた、
そう語るのでした。
しかし、父は、こう続けました。
「その頃のコンプレックスがあったから、今があると思う」
「コツコツやってきたから、
今、友人は定年しているけど、自分は仕事がある。
長い目で見ないと、わからんものなんだよ」
と。
■そして、それを聞いて、
「本当にそうだよな」と我が父ながら深く共感したのでした。
ふと思えば、私も全くそうでした。
今でこそ、ある程度の自信を持って、
人と接することができるようになりましたが、
20代前半までは、ネガティブ街道まっしぐら。
幼少期は、身長も最小で、体も弱かったし、
大学時代、バイト先で殴られアゴを折られて、
暴力に屈した自分と不運を呪ったし、
新卒時代、飲食店に入社し、心身を壊し、
自分のメンタルの脆さを痛感しました。
そこには、”失敗”ばかりだし
「コンプレックのかたまり」ばかりでした。
でも、それがあるから、
『そんな自分を変えたくて、今を頑張れる原動力になった』
というのも、確かに事実だと感じるのです。
■もし今、コンプレックスがあったとしても。
または幼少期恵まれていなかったとしても。
思い出すだけでズキズキ感じる
忘れられない”痛み”や”疼き”であったとしても。
『”痛み”があるがゆえに、
「何とか克服したい」と努力できる』
原動力を持ち続けることができるのではないか、
そのように思ったのです。
■昨日の会話で、
ずっと一緒に過ごしてきた、
家族でさえ(家族だからこそ、かもしれません)
「自分の胸だけに秘めた”痛み”を抱えて生きている」
ということの片鱗を知りました。
「痛み」とは、
悩み、不安、コンプレックスなど、
一見ネガティブなもの。
だからこそ、そんなに声を大にして、
日々言うものではないだろうし、
自分だけが、
”ひっそりと抱え続けているモノ”
なのだと思います。
それらは、重たくて、
ずっしりと心に引っかかってくるもの。
ですが、繰り返しになりますが、
”痛み”があるからがゆえ、
『変えたい』
『前に進もう』
と思えることのも、
一つの事実だと思うのです。
きっと、多くの人が、
胸に一物も二物も抱えているはず。
表面的には笑っていても、
辛いこともあるのでしょう。
それはあまり気持ちのよいものではないかもしれない。
ですが、我が父のいうように、
「勝負は長期戦」
なのです。
だからこそ、
『短期的にヒリヒリ感じる”痛み”も、
中期的・長期的には、”痛みがあるから強くなった”』
そう言える材料にすらなるのではないか、
そんなことを思った次第です。
”痛みがあるから輝く”(硝子の少年/Kinki kids)
”涙の数だけ強くなれるよ”(TOMMOROW/岡本真夜)
あの名曲も、そう教えてくれているようです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日が皆さまにとって素晴らしい1日となりますように。