「”食器は耐用年数が高いから、いいモノを買う価値がある”という友人の話から思うこと
(今日のお話 1659字/読了時間2分)
■おはようございます紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
並びに午後は社内でトレーニングでした。
営業を対象に、副社長、社長も含めた
「お客様の真の課題発見のためのロールプレイ」を、
営業全員対象に実施したのですが、
我ながら、弊社のプログラム、
そして講師のレベルの高さには、
絶大の信頼をおいているため(手前味噌ではありますが苦笑)、
とても学びになる社内トレーニングでした。
こういった学びの機会が得られることが、
教育会社に勤めている、何よりのご褒美だよな、
と思った1日でした。
今日は、改めて思う、
自己投資の重要性を、
「”食器は耐用年数が高いから、いいモノを買う価値がある”という友人の話から思うこと」
というタイトルで、
ちょっと変わった角度から、
皆さまにご共有させていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■さて、先日、妻と、友人と、食事をしていた時の話。
ふとしたきっかけで、
「紀藤家は、最近食器がよく割れる」
という話になりました。
それもそのはず、どこからか貰ってきたか、
もうわからない、ビンテージな食器ばかりだから。
多分、彼らの殆どは、
出身がダイソー(100円ショップ)だったと思います。
しかし、一緒に食事をしていた友人は、
食器にこだわりがありました。
そしてこう言うのです。
「食器は、ちょっとくらい良いものを買っても良いと思う。
だって、食器の”耐久度”はかなりあるし、
一回買ったら、その食器を使う食事が楽しくなる。
だから、食器は良いモノを買うに値すると思う!」
と。
■それを聞いて、
「確かにその通りだよな」
と思いました。
私も、買い物をするとき、
(特に高い買い物をするとき)
その、
”「耐用年数」(=使い続けられる年数)がどれくらいあるか”
そして、
”どれくらいの「頻度」で使うのか”
という、
『耐用年数 × 使用頻度』
によって、いくらお金をかけようか、
というのを決めています。
時計だったら、多分10年以上は使うし、
毎日使うから、いい時計を買ってもいいかな、
と思い、最近いい時計を買いました。
その次に、靴は使えるけど、
多分丁寧に履いても、5~10年くらいで、
寿命が来そうだから、時計ほどは投資できないな、
と思います。
そして、洋服やタオルだったら、
布ですから、使う頻度が上がるほど、
ボロボロになりやすかったりするから
そこまで高級品はちょっともったいないかな、
とか。
『耐用年数×使用頻度』。
こんな、私なりの方程式に当てはめて、
「どれくらい投資して、回収できるのか(=人生が豊かになるのか)」
を考えたりするのです。
だから、食器も、
毎日使うし、耐用度も高いため、
”投資価値あり”
となるわけです。
■そして、こんなことをじっくり考えた時、
思い出し、一人納得することがありました。
それは、金融業界で投資の専門家として活躍してきた友人が
かつて言っていた言葉。
それは、
【最大の投資は、”自己投資”である】
という言葉。
ちなみに、ここで意味する自己投資とは
”モノ”ではなく、「自らの無形の能力」(=学び)のことです。
先程、お伝えした、私なりの
「投資する優先順位付け」の方程式は、
”「耐用年数」×「使用頻度」”
としていました。
そう考えたときに、
最も使用頻度が高いモノとは、
「自分自身」
であることは、否定の仕様がありません。
モノはなくなりますが、
”自分の中に蓄積した、
「知識」「スキル」「経験」”
というものは、
朽ちることなく、ずっと残り続けます。
だからこそ、
「無形の自己投資」
(=学び、知識、経験)
というのは、
やはり投資に値するものである、
むしろ、真っ先に投資すべきものではないか、
そのように感じたのです。
■何に価値を置くかは、人それぞれ。
しかし、目に見えるモノの価値に、
ついとらわれがちな世の中において、
”消えない価値とは何か?”
という視点で考えると、
見えづらいけれども確かに存在する、
「自己投資の本質」ごときものが、
おぼろげながら見えてくるのではないだろうか、
そのように思います。
「食器は耐用年数が高いから、投資価値がある」
そんなエピソードから、
自己投資の重要性に思いを馳せた次第でした。
「7つの習慣」でも、
”第7の習慣 刃を研ぐ”というように、
自らを磨き続ける大切さを伝えているように、
「自己投資」も、人生を一つにする一つの原則なのだろうな、
と思いながら。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日が皆さまにとって素晴らしい1日となりますように。