言ったことができていないと罪悪感を覚える生き物
(今日のお話 1443字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
ならびに電話会議など。
メルマガも今日で1063号になりました。
日々粛々と送っているのですが、
送る時の想い、自分の心境の変化も感じています。
今日は自分の中の一つの懺悔(?)も含め、
私がメルマガを送る中で感じた教訓について、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
テーマは、
「言ったことができていないと罪悪感を覚える生き物」。
それでは、どうぞ。
■メルマガが1000号を超えた当たりから、
日増しに強くなる思いがあります。
私は、本を読んだり、
偉い方にお話を聞いたりして、
そして、それをメルマガという形で、
自分の中のフィルターを通して伝えています。
この作業をかれこれ1000回以上、
やってきているため、自分でも書きながら、
「いい話だなー」と思うこと、結構あります。
しかし、書けば書くほど痛感するのが、
「自分もできてないなあ」と、
自らを戒めること数知れず。
■そんなことを繰り返していると、
自らに対して、強烈に苛まれる思いが、
「できていないくせに、偉そうに何をぬかすか」
という自分自身への内なるツッコミなのです。
これがここ最近、急激に増えてきました。
優先順位が大事、といいつつ、
急な案件が増えると混乱したり。
「おいおい、優先順位、といいつつ、
出来ていないじゃないか。」
という自分へのツッコミ。
また、win-winが大切といいつつ、
利害関係者が増えると、
大切にすべきことが何かを見失ってしまう。
「おいおい、Win-Winと言いつつ、
捉え方間違ってないか、自分」
という自分へのツッコミ。
メルマガを通じ、
発信する回数が増えれば増えるほど、
「出来ていないじゃないか」
という、恥ずかしさ&葛藤を感じるのです。
(これは自らの懺悔でもあります)
■そんな意味では、
厚顔無恥とも言える行為なのかも知れない。
しかし、それでも、
それだからこそ「気づき」を発信する、
価値があると思うのです。
そんな中でも、敢えて、
一つだけ言えることがあるといえば、
『恥知らずの発信でも、恥を覚えた沈黙よりマシ』
ではないか、ということ。
このメルマガで言った、
幾つもの話も、出来てないことも多いです。
しかし、言い続ける限りは、
意識はしています。
そして、「出来ていない自分」との
ギャップを感じ、胸がキュッとなります。
しかしながら、私の場合、
もし発信を行わなくなったら、更に出来なくなる。
「出来ていない自分」との違いを、
感じる場も少なくなり、焦りを感じる機会も少なくなる、
そう思います。
■不思議なもので、人には、
大なり小なり、
【言ったことはやらないと、なんとなく罪悪感を覚える】
という性質が働いているように思います。
(もちろんそうでない人もいるとは思いますが)
実際に、社会心理学の言葉で、
「一貫性の法則」というものがあります。
これは、
”人は自分の行為に一貫性がないと、気持ち悪さを感じる”
という心理的な働きのことだそう。
つまり、
「言っていることとやっていることが違い、それを自分で認識していると、
自分の中でも気持ち悪さを感じる」
ということなのだと思います。
■出来ないことに対する、
言い訳や、免罪符にするつもりはありません。
しかし、自分のものにするためには、
第一に、”意識すること”から。
出来なくとも、まずは心がけること、発信すること。
そして、それを少しずつ行動していくこと。
諦めるよりは、
忘れずに葛藤をしたほうが
きっといいのだろう、
そんなことを思った次第です。
自らへの反省しつつ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日が皆さまにとって素晴らしい1日となりますように。