”利益率でものを考える世界”は、どこへ向かうのか?
(本日のお話/2542文字 読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日、土曜日より本日にかけて
人事・経営者層の方に限定した
「7つの習慣 特別公開コース2日間」を開催中。
土日にも関わらず、
20名もの方々が朝から夕方まで、
学びの時間、研修の検討の機会として、
お越しいただいております。
土日関係なく、必要だと思うことに
惜しまなく時間を注がれている参加者の方を見ていると、
本当にエネルギッシュだなと感じさせられる次第。
兎にも角にも、
参加頂いております皆さま、ありがとうございます!
*
さて、本日のお話です。
今日は少し真面目な本から
真面目なお話の紹介です。
(ちょっと長いので、ご興味がある方のみ、
お読み進めください)
*
ちなみに、皆さま、
”エマニュエル・トッド”という方を、
ご存知でしょうか?
一部の間では非常に有名な方ですが、
彼は、これまでの世界の歴史的な事件、
例えば、
・米国の金融危機(リーマンショック)
・アラブの春
・英国EU離脱
などをことごとく予言してきた、
フランスの歴史家、文化人類学者です。
そんな彼が
「世界はこれからどこへ向かうのか?」
ということで朝日新聞による
インタビューに答えてきました。
それを、
『グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命』
(語:エマニュエル・トッド/聞き手:朝日新聞)
という書籍にまとめています。
本日は、この本の中で、
このエマニュエル氏が、
”近代社会が抱えている問題と、その原因”
について語っており、
その内容が、興味深いお話でしたので、
皆さまにご共有させていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■今、世の中のニュースを見ていると、
「なんかおかしいんじゃないか?」
と思う現象が
多く起こっているように思います。
少し前に騒がれたトランプ氏当選の話も、そう。
米国の激しい貧富の格差問題に対する、
国民の怒りが、
「この腐った状態をぶっ壊してくれ!」
というようなエネルギーに変わり、
一般的には「予想外の当選」とされる結果に至った、
そんな評価をする
新聞、雑誌、ジャーナリストが
相次いたようです。
■エマニュエル氏は、
そんな世の中を取り巻く問題について
ある質問を受け、そして回答しました。
それは、このような内容でした。
(ちょっと小難しい、
と感じられる方もいるかもしれませんが、
興味深い問答でございました。)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Q、(朝日新聞より質問):
近代化されたほとんどの国に問題があります。
多くの国が、信頼や連帯などの危機に苦しんでいます。
共通点はどこにあると思いますか?
A、(エマニュエル氏の回答)
まず思い浮かぶのは、
”信仰システムの崩壊”です。
それは宗教的信仰、イデオロギー上の信念、
あるいは未来に対する歴史的な夢かもしれません。
とにかく人の行動を導くようなものです。
これら、集団が共有する展望が欠落しているのです。
(中略)
(代わりに信仰するものとして)
人々は今、”利益率でものを考える世界”にいるようになりました。
それに反対しているわけではありません。
しかし、それ自体が反共同対的な信仰です。
そこにいるのは「経済的人間」だけ。
経済は手段の合理性をもたらします。
しかし、目的の合理性ではない。
経済は、”何が良い生き方か”を定義しません。
だから限界があるのです。
私達が暮らしているのはそんな世界です。
一部引用:
『グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命』
(語:エマニュエル・トッド/聞き手:朝日新聞)より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■何回か目を通さないと、
または前後の文脈がわからないと、
「なんのこっちゃ??」
という話かもしれません。
上記の問答だけでも、
色んなメッセージが含まれていそうです。
その中で、私が
「なるほどなあ!」と思ったのが、
『私たちは、”利益率でものを考える世界”を信仰の対象としている』
という、彼の投げかけでした。
・今の世の中、全てを利益率で考えてはいまいか?
・今の世の中、「経済的合理的」のみ最優先で考えてはいまいか?
・経済的人間、経済的分野での成功者だけが
もてはやされ、力を持っていまいか?
そんな「経済バンザイ的信仰」を、
近代化された社会が持っているのではないか?
しかし「経済=良い生き方」とは限らない、
だから、実現できることにも限界がある、
そんなコメントが、
豊かだけど何か満たされない近代社会に漂う”違和感”を
言い表す言葉として
「確かにそうかもな」
と納得するものである、
と感じたのでした。
■ちなみに、だからといって
「経済をぶっ壊せ」
みたいな話ではありません。
”そういった世界(経済的合理性の世界)に、
反対をしているわけではない”
そう、エマニュエル氏自身も、
上記のQ&Aで答えています。
しかしながら、確かに
「経済」は物凄く大事だけど、
あくまでも、
”「経済的合理性」というのは、
一つの考え方にしかすぎない”
ということは、
頭の片隅においておく必要があるのではないか、
そのようにも思うのです。
■少し話が脱線しますが、
日本の歴史において、
日本の文化を作ってきたと言われる、
”士族(武士階級)の教育”では、
「算数がなかった」
そうです。
昔は、
「清く、貧しくあれ」
「贅沢はするな」
「損得勘定で動くな」
という”あり方”が、
何よりも大切、とされていました。
だから、武士道において、
利益を考える算数は除外されていた、
そんな話があるのです。
もちろん時代が違うことは大前提。
でも、長い長い人類史において、
ほんの一瞬であるわずか100年前においては、
『儲けや豊かさ < 自らのあり方・生き方』
がもっともっと価値を持っていた時代が
確かにあったようなのです。
■お金は大事だし、経済も大事。
でも、それが全ての答えでは、ない。
「忙しくて、常に疲れている」
「豊かになる一方、
どんどん人間的な生活を送れなくなっている」
「競争だらけの世の中、
どこか間違っているのではないだろうか?」
そんな議論が、そこかしこで
起こっているということは、
まだまだ目指すべき理想の社会の形はあるのでしょう。
それを作るのは、
国の偉い人、賢い人達、
と思う方もいるかもしれませんが、
やっぱりそのような問題意識が、
多くの人の中に生まれてこそ、
大きな動きも生まれるように思うのです。
タイトルの、
”利益率でものを考える世界”は、どこへ向かうのか?
については、私もわかりませんが、
まずは問題意識を持つことが大事なのではないか、
そう思いつつ、今日はこんなお話を
皆さまに、投げかけさせていただいた次第です。
長文、最後までお目通しいただき、
誠にありがとうございました。