「NO!」を、ありがたく頂戴しにゆく
(本日のお話/1335文字 読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
ならびに、夜は通っている私塾の「サムライ塾」の合宿で
山梨に泊まりに来ております。
土日と、みっちり、
「日本の大問題とは何か?」
「利他の気持ちとは何か?」
「沖縄独立に賛成?反対?」
「売春合法化についてどう思うか?」
など、非常にディープすぎる内容について、
終日語り、ディスカッションし尽くす、
そんな時間を過ごしてまいります。
ちょっと心配ですが、楽しみ。
*
さて、本日のお話です。
最近、多くの取り組みを
同時並行的にやっている中で、
”時間をどう作るか?”
ということの難しさ、
また大切さについて、考える事が増えてまいりました。
今日は、この”時間を作る”という、
誰にとって大事なテーマについて
思うところをお伝えさせていただきたいと思います。
テーマは、
”「NO!」を、ありがたく頂戴しにゆく”。
それでは、どうぞ。
■私が営業を始めてから学んだ教訓で、
今でもよく「いかんいかん」と
自分を戒める教訓があります。
それは、
「イエスorノーをハッキリさせる」
ということ。
当たり前の話ですが、
お客様も、そして自分自身も、
貴重な時間を捻出し合っています。
にも関わらず、
顧客「もうちょっと検討させてください。」
営業「ですよね、そうですよね。
では、また改めて。」
となり、そしてまた1ヶ月後、
営業「あれからいかがでしょうか?」
顧客「もうちょっと、検討させて下さい」
営業「あ、わかりました。ですよね。ではまた。」
そして、また1ヶ月後、(続く)
なんて不毛なやり取りを、
繰り返していたとしたら。
どちらがいい、悪いではなく、
選択を迫る側も、迫られる側も、
勇気や配慮が足りないのであろう、
そんなことを思うわけです。
■以前、上司から教わった話で、
”ダメ営業は、決断を迫ることを恐れる”
という名言がありました。
決断をしなければ、
まだ可能性は少なくとも、
0(ゼロ)にはならない。
だから、その状態を、
「まだ、可能性はゼロじゃないんです」
(=本当は、限りなくゼロ)
と上司に報告し、
何とか自分の安全領域を保つ、
そんな状態でしょうか。
しかし、そのような行為は、
例えば、
・上がる見込みのない暴落した株を、
塩漬けにして持っているごとき行為
・餌がなくなった釣り竿に、
魚がかかるのを待ち続けるような行為
・負けが100%確定したオセロや将棋ゲームで
負けを認めず、逃げまどう行為
のように、生み出すものはなく、
”ただただ浪費的な愚かなる行為”
ではないだろうか、
と思うわけです。
■イエスなら、イエス。
ノーなら、ノー。
別にどちらでも、
「前に進む」という意味では、
宙ぶらりんでいるより、
よほど生産的な行為です。
生産性を高めよう、
無駄をなくして重要な仕事をしよう、
そんなことが叫ばれている世の中だからこそ、
イエス、ノーの決断を迫ることが大事です。
否、イエスを期待するあまり、
もし決断が迫れないのであれば、
敢えて、
【「NO!」を、ありがたく頂戴しにゆく】
くらいの姿勢で、ちょうどいいのかもしれない、
そんなことすら感じます。
優しく、配慮ある日本人は素敵、
なんて言われることもありますが、
だからこそ、逆の要素である、
「一に決断、ニに決断、三にも四にも決断」
のごとき、突き進むスタンスを学ぶことは、
重要ではなかろうか、
そのように思う次第です。
決断、迫ってまいりましょう。
自戒を込めつつ。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
今日も皆さまにとって素晴らしい1日になりますように。