「余生」という言葉は、よくないと思うんです。 by なだいなだ
■おはようございます。紀藤です。
梅雨ですね。少し前まで、
凄く暑かったので、涼しくて気持ちがいいです。
日本独特のこの気候を楽しみたいもの。
■さて、突然ですが、
私には個人的に好きな(ちょっとマイナーな)番組があります。
それはNHKで、
土曜日の朝5:40~50に放送されている、
【あの人に会いたい】
という番組。
(ご存知でしょうか?)
「あの人に会いたい」は、
20世紀の歴史に残る著名な人々の言葉を、
映像と言葉とともに紹介された番組です。
キング牧師とか、リンカーンとか、
世界中のだれもが知る、という人物でなく、
”若い世代には知られていない、でも有名な知る人ぞ知る人物”
にスポットを当てているところも
何ともいえない味を出していて、
たまらなく「グッ」とくるのです。
■その中で、先週の人物は
「なだいなだ」さん
という方にスポットを当てていました。
彼は、小説家として多くの作品を執筆しながら、
または精神科医としても活躍します。
専門分野は「アルコール中毒」をテーマに携わります。
その彼が言った言葉が、
とても印象的で、共感してしまいました。
それは、
「『余生』という言葉は、よくないと思うんです」
という言葉。
彼曰く、
「余生っていうと、何だか余っているような感じがします。
でも、人生に余りも何もない。
常にその時が100%主役でいた方が幸せじゃないですか。」
「だから、そもそも”『余生』をどう生きるか”、と考えるよりも、
”どう余らないように生き切るか”を考えた方が、
ずっと楽しいと思うんです。」
というようなお話をされていました。
■なだいなださんは、
年齢や人生のステージにおいて、役割や求められることは変わるけれども、
「出来ることはあるはず」
「貢献できることがあるはず」
という意見を強く持ち続けた方でした。
「7つの習慣」では人生のより良い、
充実したものにするために、
【第二の習慣 終わりを思い描くことから始める】
ことが大切と言います。
ここでいう<終わり>とは、
究極的に言えば、
「自分の人生の終わり」、
つまり「自分の命の終わり」のこと。
なだいなださんが、
「どう余らないように生き切るかを考える」
といったように、超・長期としての
自分の人生をどう描くのか、考えてみることも
価値があることかもしれません。