自分には優しくて誠実。でも、何だか信頼できない人
■おはようございます。紀藤です。
「人って、よく見ているものだなあ」
ある記事を見ていて、
改めて思った感想です。
先日、あるビジネス誌を読んでいると、
とある会社の人材に対するポリシーが語られていました。
その内容は、
「景気や業績が悪いときに、非正規の社員だからといって、
ぞんざいに扱ったりはしない。
厳しい環境でも社員を大事にする、という経営姿勢を貫くことで、
社員からの信頼を得ることができる」
というお話でした。
■私たちは、普段の姿勢を見て、
「信頼できるかどうか」を判断している。
だから「普段の経営姿勢」こそが大事。
極めてシンプルな事実です。
そして、このように
「普段の姿勢から、信頼できるかを判断している」
というのは、「対企業」よりも、
寧ろ「個人の間」で起こることではないか、
とも思います。
■しばしば周りに、こんな人はいないでしょうか。
「自分には優しくて誠実。
でも、何だか信頼できない人」
決して、自分に何かをするわけでなく、
約束も守るし、関係も悪くない。
でも、
・どことなく相談するのは少し心配、
・本音を言うのは少し怖い、
・安心して、信頼しきるには至らない、
というような人です。
■なぜ、そう思ってしまうのか?
その理由を考えてみると、
その人の行動にこんな特徴があったりします。
例えば、
・他人の陰口をすぐに言いがち。
・都合のいい人にだけ、親切。
などなど。
■こういうシーンを見ると、
無意識でイメージしてしまいます。
・陰口をすぐに言う。
→ (裏では、自分もこんな風に言われているのではないだろうか・・・)
・都合のいい人だけ親切。
→ (状況が不都合になれば、一気に態度が豹変するのではないか・・・)
このように連想をしてしまって、
何かをされたわけではないけど、
間接的に「信頼を損ねる」ことになるのでしょう。
■2008年度アメリカのCEOが選ぶ
TOP20の書籍の中に、
『スピード・オブ・トラスト』
という「信頼」に付いて書かれた本があります。
この本によると、
信頼を創り出す行動として、
以下のようなものがあげられています。
【忠誠心を示す】
他者に花を持たせる。
その場にいない人の事も、いるつもりで話す。
【他者を尊重する】
他者を心から思いやる。
自分の利益になるかどうかに関係なく、
すべての人や役割の尊厳に敬意を払って接する。
■私たち人間には、”第三の目” とも呼べるような、
極めて繊細なセンサーがついているように思います。
それは、
「直接的に何かをした、された」を超え、
普段のその人の何気ない一面から、
その人の”人となり”を感じてしまう、
という機能のようなものでしょうか。
「人は思ったよりも、よく見ている」
こんな前提で普段の行動を考えてみることも、
人との中で生き、働く上で大切なのだろうな、
と改めて思う次第です。