「まあ、いけるだろう」に潜む罠
■おはようございます。紀藤です。
昨日は久しぶりに終日社内。
前からやろうと思っていた、
進めているプロジェクトの説明会資料の作成など、
社内業務に集中していました。
資料の作成は、
半分ほど仕上げていたので、
「まあ、あと少しだし、すぐに終わるだろう」
と、高を括っていたのですが、
実際やり始めると、前回気付かなかったような
色々なアイデアが湧き上がるのです。
「あれもいいな、これもいいな!」
と、どんどん考えを広げていくうちに、
どんどんパワーポイントは増えていき、
そうして作り終わってみれば、
時間内で伝えきれない膨大な内容になっておりました・・・
■結局、せっかく作ったパワーポイントを削除し、
大幅に構成しなおすことに(汗)
もし最短距離で進めば、
3分の2どころか、
半分の時間でできたはずの内容。
なぜ今回に限って、
このような、どつぼに嵌ってしまったのか。
反省していたところ、
その理由は、
【始める前の、「知的創造」が雑だった】
という一点に集約される、
と気が付きました。
■ちなみに、
”知的創造”というのは、
「7つの習慣」で語られている言葉です。
”第二の習慣 目的を持って始める”において、
【知的創造は物的創造に先立つ】
という原則があります。
すなわち、
”どんなものでも実際に形にする(物的創造)前に、
頭の中で思い描くこと(知的創造)が必要になる”
という原則です。
■例えば、
家を建てる場合も、
実際に木を切り、組み立て始める前に、
設計図を詳細に、それこそミリ単位で作ってから作らなければ、
よい家はできません。
もし雑な設計図で家をつくったら、
途中で計画はストップ、
または無理やりつくっても潰れてしまうでしょう。
そして、これは、
・プレゼンの実施
・プロジェクトの実行
・営業アポイントの準備
・1日の計画
など、仕事のあらゆることにも
同様に当てはまります。
■本腰を入れてやるときは、
誰しもが、気合を入れて、
ばしっ!と計画を立ててやると思いますが、
昨日の資料作成のように、
「まあ、いけるだろう」
という、見切り発車をしがちな時こそが、
一番危ないのかもしれません。
”知的創造の質” が ”物的創造の質”に影響するのは、
それが大きいことでも、小さいことでも同じ。
だからこそ、どんな状況であれ、
”よいアウトプット(短く、質が高く)を残すためには、
事前の【知的創造】が欠かせない”
という原則を頭に置いておき、
実際に手を動かし始める前に、
ノートなり、メモなり、
【家の完成図】なるものを
詳細までこだわってから取り掛かることが、
結局は最短距離になるのでしょう。
当たり前の話ですが、
初歩的なミスからの学びでした。
■今日のお話は、
・企画書作成で、すぐに終わるはずのものが
とんでもなく時間がかかってしまった。
その理由は、「計画が雑だった」から。
・「7つの習慣」では”知的創造は物的創造に先立つ”
という原則がある。
・これは”知的創造”、すなわち、
実行前に頭の中で、詳細に、カラーで思い描くことが、
実際の”物的創造”すなわち、アウトプットの質に影響する、という話。
・大きいことは、気合を入れて計画をするが、
小さいことは「まあいけるだろう」で見切り発車をしがち。
・しかしながら、”知的創造の質” が ”物的創造の質”に影響するのは 、
それが大きいことでも、小さいことでも同じ。
・だからこそ、よいアウトプット(短く、質が高く)を残すためには、
事前の【知的創造】が欠かせない”という事実を常に頭に置いておくのが大切。
という内容でした。
今日も皆様にとって素晴らしい一日になりますように。