満たされた器に、新しい水を注ぐことはできない
■おはようございます。紀藤です。
いつだったか小さい頃見たアニメで
印象的なシーンをふと思い出しました。
タイトルも詳細も思い出せないのですが、
少年が、老師の下、中国の山奥で修業をしている、
そんな設定だったと思います。
少年が、「最後の秘技」を
老師から伝授してもらおうとするのですが、
老師が突然、険しい顔で言うのです。
老師「お前に、秘技を教えることはできん」
少年「なぜです? 老師!」
(老師がおもむろに器を取り出し、なみなみと水を注ぐ)
老師「見よ。お前は今、この器のようになっておる。
自身を空にしなければ、秘技を会得することはできんのじゃ」
ここで老師が言いたかったのが、
【今までのやり方に固執をしていたら、
より良いものを身に付けることはできない】
ということでした。
■実はこのようなシーンは、
私たちの日常でもよく見受けられるように思います。
特に、教育業界においてはそう。
素晴らしい先生が、
物凄くわかりやすく的確な教えを伝えたとしても、
「自分の考えを、ぜったいに変えない!変えてなるものか!!」
と意固地になっている人、いわゆる
「水(自分の考え)で器が溢れている人」
がいるものです。
大体の場合、そういった方には、
どんな最高の教えも、
意味をなさない、ただの呪文にしか映りません。
考えてみれば当然なのですが、
今と別の「結果」を目指すのであれば、「行動」を変えねばなりません。
「行動」を変えるためには、
その行動の基となっている「考え方・見方」を変える必要があります。
自分の「見方」が変わるから、
別の「行動」をすることができ、
そして「結果」が変わる。
だとすると、
「変わりたい、変わりたい」と言いながらも、
自分の「考え方・見方」に固執すれば、
違う結果が望めるはずもありません。
そうすると、
「自分の見方(パラダイム)を変えてみる」
ことが、新しい結果を生み出す、
最初の必要条件になりえる、と言えます。
(これを7つの習慣ではSee-Do-Getサイクルと呼んでいます)
■素晴らしい老師が最後の秘技を、
少年の頭が空になるまで伝えなかったように、
「教育」とは、伝え手と受け手の体制が整った時に、
最も効果を発揮するもの。
私はそう思います。
なみなみと自分の考えで頭の器がいっぱいになっていれば、
新しいことを伝えたとしても、
どんな内容もこぼれて、流れていってしまうのでしょう。
そう考えるのであれば、
素晴らしい教えを伝える先生を探すのは大事ですが、
同時に教わる側も、
【自分の考え以外にも、答えはあるのではないか】
というスタンスをインストールすることが、
教育効果を高める上で大切なのではないかと思います。
それは客観的に自分を見ることができる人間ならば、
誰もができることです。
何かを学ぶときには、
自らの「パラダイム」を意識して変えていきましょう。
■今日のお話は、
・老師が言った。「お前の頭の器は別のことで満たされておる。
それでは新しい秘技を身に付けることはできん」
・教育も同じように、自らの考えを絶対として、
誰からの言葉も拒否すれば、どんなよい教えも、呪文に成り果てる。
・もし違う結果を望むのであれば、その基になっている
「見方(パラダイム)」を変える必要がある。
・だからこそ、新しい学びを得ようとするときは、
自らのパラダイムを意識して変えていくことが大切。
という内容でした。
今日も皆様にとって良い一日になりますように。