「軽はずみな約束」は、他人と、そして”自分自身”への信頼を損ねるもの
(本日のお話 1554文字/読了時間1分半)
■こんにちは。紀藤です。
昨日、日曜日は読書、
そして溜まってる仕事を黙々としつつ、
内省、内省、内省、の一日でした。
そして夜は高校時代の仲間と
6年ぶりに再会。
久しぶりに語りましたが、
当時同じ部活で、同じようなことを話し、
同じ時間を過ごした仲間も、
・九州にいき、東京へいき、今に至る自分と
・地元の愛知一筋の友人とで、
成熟するにつれて
考え方が大きく変わっていたことに、
時間の移り変わりを感じた夜でした。
そして、自分の道をひた走ろう、と改めて思った次第。
*
さて、本日のお話です。
昨日読んだ本、
『ともに戦える仲間の作り方』という
ビズリーチの創業者 森社長が書いた本が、
今なお心に響いています。
その中でも、
特に心に残った言葉があります。
今日はその言葉のご紹介、
そして、そこから思うこと、感じたことについて、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【「軽はずみな約束」は、他人と、
そして、自分自身への信頼を損ねるもの】
それでは、どうぞ。
◼︎ビズリーチの南社長が、
先述の本で書いていたこと。
それは、
お金もない、社員もない、
会社も崖っぷちのときに、
ある一人のエンジニアを雇ったときに、語った言葉でした。
シンプルですが、とても印象的だったのでした。
それは、
『俺は今まで約束を破ったことはない。
君の家族も含め、絶対守ってみせる』
という言葉でした。
その時、その言葉の「本気」に打たれ、
妻もいる、子供もいる、という中で、
月収20万円、成功する保証もないというリスクの中、
ものすごく慎重で、石橋を叩くエンジニアの彼が、
その言葉を信じて飛び込んでいった、
そんなお話でした。
(記憶を頼りに書いていますので、
ニュアンスとしてお捉えください)
■その時、思ったこと。
それは、
「約束を破ったことがない」
と断言できることが、
いかに頼もしいかということ。
そして、それはそのまま、
”人とのしての器の大きさ”
に繋がるものである、
と感じたのです。
■言ってみれば当然ですが、
人生は、刻一刻と、状況が変わります。
だから、
”約束したはずのことが、
気づいたらできなくなった”
ということはあり得る話。
気持ちが変わった。
前と今は、違う。
多くの人に起こるそんな状況でも、
言い訳もせずに、
都合よく解釈もせずに、
「どうなろうとも、必ず約束は守る」
と言えることは、
人としてものすごく筋が通ったことであろう
と思ったのです。
◼︎恥ずかしい話ですが、
私はしばしば、
「いいね!やろう!」
「やりましょう!」
と勢いで言ってしまうことがあります。
それが生み出すものもある。
しかし、できなくなった時に、
都合よく解釈を捻じ曲げたり、
約束を守れなくなったりして実現できず、
そして気づかぬうちに
誰かに迷惑をかけてしまう、
ということが起こっていることを、
最近知らしめられる瞬間がありました。
◼︎例え「善意」から出た言葉でも、
その言葉に関して、相手が
心から期待をして受け取ったことであったのなら。
そしてそれが結局、
”守れなかった約束”、
となったとしたら。
それがたとえ「善意」から始まったものでも、
人を失望させてしまうこともあるのでしょう。
そして自分自身の「信頼性」も
失墜させてしまうことになるのでしょう。
◼︎日本に伝わる言葉として、
『武士に二言なし』
という言葉があります。
それは、
・軽はずみな約束で相手を失望させてはならない
という意味もあるのでしょうが、
それ以上に、
・自分自身が一度決めたことを
軽はずみに破るような人間であっては恥ずかしい
という自分自身に対する
強い戒めのようにも思います。
だからこそ、
【「軽はずみな約束」は、他人と、
そして”自分自身”への信頼を損ねるもの】
ということを、戒めるべきであり、
ゆえに、
一つ一つの言葉について、
より責任を持つことが大切なのだろう、
そのように、思った次第です。
己の反省と、自戒を込めて。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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<本日の名言>
人間は誰でも自分がいちばん大切なのです。
そして、そのことを本当に自覚した人間だけが、
自然なかたちで他人を大切に思うことができる。
五木寛之
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