世界が打算的に見えるのは、自分が打算的だからではないか、と考える
(本日のお話 1350文字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
ならびに夜は、
サムライ塾の師匠と奥様と共に、
深いお話をいたしました。
見る人から見れば、
自分の弱さも、甘さも、
全てお見通しなのだな、と感じると共に、
ありのままの自分が違って感じられるように、
一歩ずつ成長していきたい、
などと思った次第。
*
さて、本日のお話です。
私の好きな言葉であり、
実際の世の中の原則に関わる言葉として
「パラダイム(ものの見方)」
というキーワードがあります。
今日はこのお話について、
思うところをお伝えさせていただくと共に、
学びを皆様にご共有できればと思います。
タイトルは、
【世界が打算的に見えるのは、自分が打算的だからではないか、と考える】
それでは、どうぞ。
◼︎『7つの習慣』のコヴィー博士の言葉に、
「私たちは世界をあるがままに見ているのではない。
私たちのあるがままに世界を見ているのだ。」
という名言があります。
”事実は一つ、解釈は無限大”、
などとも言いますが、
「本当の事実」が何か、ということは関係なく、
「そう思ったこと(解釈)が、事実になってしまう」
ということが起こるのです。
◼︎例えば、以前の会社で、
私は厳しい上司に対して、
こう思っておりました。
いつも、自分ばかり叱られる。
怒られる。詰められる。
そうして、いつしか、
「あの人は私のことを嫌っているのだろう」
と、私の中で「決めて」いました。
だから、私の目からは、
厳しく、私のことを好きではない上司というのが、
「私にとっての事実(本当は解釈)」
になっており、そうすると、
上司がやることなすことすべて、
「愛情がない」
というように見えて、
むしろ、そんな側面ばかり気になって、
ますます「私にとっての事実」が
色濃く、固まっていったのでした。
◼︎しかしながら、
今振り返って思うと、
不思議なものです。
「あのときの上司は、
”愛情”を持っていってくれていた」
と思えるのです。
それはきっと、
当時の自分が、
「好きな人には優しくて、嫌いな人には冷たい」
という行動をしている幼い精神性
だったからではないか、
と思うのです。
しかし、少ないながら時間を経て、
『好き嫌い関係なく、
相手のためと思って厳しいことを言う』
ということが、
世界にはあると思えるようになったし、
そうすると、
「厳しさの中の愛情」
という世界が、”実際に存在すること”を、
知り得るようになった、
と感じます。
◼︎自分が浅はかに、
「きっとこうだろう」
世界に対して見えていることは、
”自分が今そういう人間だから”
である、というのは事実でしょう。
・世の中は皆、打算的である
・世界は皆、敵である
・世の中はお金がすべて
と”見える”としたら、
それは、「自分がそうしているから」である、
という証明です。
■だからこそ、
己の見える世界を絶対と思わず、
自分自身を見つめ続ける事が重要なのでしょう。
そしてそのために、
”自分より上位の視点を持っている人”
”酸いも甘いも知り尽くしている師匠”
を持ち
「自分の”世界の見方”を是正してくれる機会」
を持ち続けることは、
とても大事なことではないか、
と思うのです。
繰り返しになりますが、
【世界が打算的に見えるのは、自分が打算的だからではないか】
そう、捉えることが、
自らを振り返り、育てることです。
自分の小さな物事の捉え方でなく、
それをより広く、
大きなものとして捉えていくこと。
それが、自分自身をより大きく、
広く育てていく上で、大変重要なことではないか、
そのように感じた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日も皆様にとって、素晴らしい1日になりますように。
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<本日の名言>
本当の旅の発見は新しい風景をみることではなく、
新しい目をもつことにある。
マルセル・ブルースト
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