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1570号 2018年6月4日

苦しむことはなにかを成し遂げること

(本日のお話 2215文字/読了時間3分)


■こんにちは。紀藤です。

昨日日曜日は、東京に住んでいる、
同い年の従姉妹(税理士)に、
起業後の税金関係の相談に行ってまいりました。

よくわからないことだらけですが、
「血液」としてのお金に関わることも、
もっともっと勉強しないとな、、、

と思い知った1日でした。



さて、本日のお話です。

最近、文字通り、

”世界で戦っている人たち”

に触れることがあり、
そしてそこから思うところがありました。

自分自身への「内省」「反省」も含めて、
書籍を読んだりしている中、
ふと、先日改めて読み直した、

『夜と霧』(著:ヴィクトール・E・フランクル)

になんとなく惹かれ、
再度、よみ直していたところ、
心を掴まれる一節がありました。

今日は、そのお話を皆様にご共有させていただくと共に、
学んだことをお伝えできればと思います。


タイトルは、


【苦しむことはなにかを成し遂げること】。


それでは、どうぞ。


■「名著」という言葉では、
書き尽くせないほどの、
人類の遺産とでも言えるほどの素晴らしい本、

それが、先述の

『夜と霧』

だと思っています。

ナチス政権での
強制収容所に入れられていた、
医師(心理学者)である著者が、

”人が収容所の中で、
 どのような精神になるのか”

を感傷的ではなく、心理学を専門とする、
医師ならではの客観的な視点で捉えている本。

そして、その過程から

「人間」

という存在がいかなるものかを考えさせられる
哲学書でもあると思います。


(本当に読んでいない方は、
 とりあえず買ってみてください。

 これから人生で、病、別れ、悲しみ、、、
 そんな「痛み」を伴うとき、
 
 「人」という生き物が最後の最後、
 どうあることができる存在なのか、
 を考えさせてくれる一冊です)


■その著書の中で、こんな一節があります。

それは収容所の中で、

虐待、飢餓、強制労働、凍傷、
非衛生的な環境、、、

あらゆる辛苦を味わい尽くしている先に、
ある精神状態になった、といいます。

それは、以下のような内容でした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【苦しむことはなにかをなしとげること】


強制収容所にいたわたしたちにとて、
こうしたすべては決して現実離れした思弁ではなかった。

わたしたちにとってこのように考えること
(補足:人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命を
 とことんひきうけることが、生きる意味であると考えること)
は、たったひとつ残された頼みの綱だった。

(中略)

苦しむことの意味が明らかになると、
わたしたちは収容者生活に横溢(おういつ)していた苦しみを、
「抑圧」したり、安手のぎこちない楽観によって、
ごまかすことで軽視し、高をくくることを拒否した。

わたしたちにとっては、苦しむことですら課題だったのであって、
その意味深さに、もはや目を閉じようととは思わなかった。

私たちにとって、苦しむことはなにかをなしとげる
という性格を帯びていた。


(引用:『夜と霧』(著:ヴィクトール・E・フランクルより)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


■強制収容所の「苦しみ」とは、
本当に、人間として考えられる限りの
「苦しみ」であり、今の現代と、比べようもない事かもしれません。


でも、人は太古の昔からずっと、

「苦しみ」

という”負”の感情と、
どう向き合い、どう付き合うかは、
永遠の課題でした。

そして、それは現代でもそう。

人は、悩み、苦しみます。


その「苦しみ」の質がどう変わったのか、
という比較はできないにせよ、


「苦しみがずっと続き、
 しかも消えないと思った時に、
 それをどう捉えるのか」


という”あり方”については、
上記の『夜と霧』の一節は考えるヒントになるのでは、

と思ったのです。


■そして、その一つが、

『「苦しむこと」に意味を見出す』

ということなのでしょう。

このようなことを、
言葉で書くと本当に薄く感じてしまいますが、
それでも、そうなのだろう、と感じるのです。


今感じている「苦しみ」に向き合うことそれ自体が、

「なにかを成し遂げていること」

である、、、


実際に、収容所における、
本当に希望も持てない状態で、
人はそのように思うことができる生き物である、

ということが、我々の現代の生き方にも、
一つの光明を指し示してくれる気がするのです



■この一節の後、著者は
このようにも書いていました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ものごとを、つまり横溢(おういつ)する苦しみを
直視することは避けられなかった。

気持ちが萎え、ときには涙することもあった。
だが、涙を恥じることはない。

この涙は、苦しむ勇気を持っていることの証だからだ。

(中略)

たとえば、あるときわたしがひとりの仲間に、
なぜあなたの飢餓浮腫は消えたのでしょうね、とたずねると、
仲間はおどけて打ち明けた。

「そのことで涙が涸れるほど泣いたからですよ、、、」


(引用:『夜と霧』(著:ヴィクトール・E・フランクルより)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


我々が何かを悩んだり、苦しんだりするとき、

「向き合う勇気を持ち、直視し続けること、
 それ自体が何かをなしとげること」

すなわち、

【苦しむことはなにかを成し遂げること】

と捉えることもできるのでしょう。




とことん、悩む。

とことん、考える。

とことん、苦しむ。


大変だし、できれば考えたくないけれど、
人だからこそできる、貴重なことでもある、
とも思います。

物事の解釈を、捉え方を、
できるだけ広く、成熟させていきたいものだ、

と思う次第です。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本日も皆様にとって、素晴らしい1日になりますように。


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<本日の名言>

海よりも広いものがある。それは空だ。
空よりも広いものがある。それは人の心だ。

ヴィクトル・ユーゴー

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