誰かに突きつけた「銃口」は、自分に向いている
(本日のお話 1710字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は4件のアポイント。
ならびにお昼からは、
これから会社のウェブサイトを作るためのコーダーや編集者などを集めるべく、
今急激に増えている「クラウドワークス」の方とミーティングでした。
日本全国にいる、スキルと時間を持つ人と、
仕事をお願いしたい人を直接繋ぐという、
本当に「働き方改革」という世にふさわしいサービス。
※こんなサービスです。
『クラウドワークス』 https://crowdworks.jp/
諸々、これから加速していきそうで、楽しみです。
*
さて、本日のお話です。
昨晩仕事の後、
『サムライ塾』なる私塾の仲間と男二人で、
”生き方”についてアツく語り合い、
とても盛り上がったのでした。
ちなみに友人は、コンサルをしている
同い年で大変聡明で優秀な人物。
ジャズが流れる、お洒落な雰囲気の中、
ラムを片手に語らい、話したテーマとは、
「自分を成長させるには?」
「人を変えるには?」
という話を、諸々語らっていたのでした。
その中で出た話の一つで、
「自らの気を引き締める大切な考えだな」と思う、
ある小話を聞いたのでした。
本日はその内容について、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【誰かに突きつけた「銃口」は、自分に向いている】。
それでは、どうぞ。
■人は、誰かに、
「意見」を言うことがあります。
・上司から部下、でも、
・妻から夫、でも、
・友人から友人、でも、
その関係はなんでもよいのです。
その人の成長を願ってか、はたまた、
ただ気になったから言ったのか、
その理由も様々でしょう。
それら言葉は、
・アドバイス
・叱責
・フィードバック
、、、
いろんな言い方がありますが
「相手への指摘」として、
誰かに届けらるものです。
■しかし、「相手に何か指摘する」というのは、
実は想像以上に、
「重みがあるもの」
と思うのです。
例えば、私(紀藤)自身も、
誰かに「指摘」「フィードバック」をする機会が、
ままあります。
それは、
・プライベートでとして関わっている
学びの場の『サムライ塾』でも、
・組織や個人の方に向けてコーチングを実施するとき、でも、
・広く言えば、この「メルマガ」で
自分の意見を皆様に広くお伝えするとき、
などもそう。
■その”言葉を放つ”、
瞬間瞬間で、思うことがあるのです。
それは、
『誰かに言ったことを、自分はできているのか?」
というシンプルな問いです。
*
昨晩、こんな話を友人から聞きました。
”手でピストルの形を作って、相手に「銃口」を向ける。
そうすると、「人差し指」は、
確かに誰かに向いている。
、、、ただし、その手に注目してふと気付くのは、
「中指」「薬指」「小指」、この三本は、
『自分に向いている』ことを気づく必要がある”
という話。
そして、まさしく、このことは
”私たちが誰かに何かを言うときに、
大切に持つべき心構えではないか”
そう、思ったのです。
■誰かに、何かを言うのは容易いもの。
それが、もし、
立場が上の人から下の人なら、
なおさらそうです。
、、、しかし、多くの場合、
自分が相手に指摘したことは、
『自分に跳ね返ってくる』
のです。
「じゃあ自分はどうなのか?」
「100パーセントできているのか?」
、、、
放つ言葉に責任を持つなら、
必ず、そう自問せざるを得ない、
と思いますし、
このことを常々問う姿勢が、
相手のためにも、そして自分の成長のためにも、
極めて大切なことではないか、
そう、思ったのです。
■加えて、この話には続きがあります。
「人差し指」は、相手に向いている。
「中指」「薬指」「小指」は、自分に向いている。
じゃあ最後の「親指」は?
と考えてみると、それは、
”『天』(=上)を向いている”
のです。
人に言いっ放しで、いいのか。
それは言行一致か。そのあり方でよいのか。
人に言われないからといってそれでよいのか。
、、、
『天』が見ていると考えたら、どうか。
*
絶賛放映中の大河ドラマ「西郷どん」の
西郷隆盛は「敬天愛人」と言いましたが、
人に指摘すると同時に、最後の一本の銃口は、
「お天道様が見ている」
とし、自らを律していきたいものだな、と
強い自戒をこめて思う次第です。
【誰かに突きつけた「銃口」は、自分に向いている(そして、天にも向いている)】
こと、忘れずにいたいものです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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<本日の名言>
もし人の悪口を言うならば、
それが自分に帰ってくることを予期せよ。
プラウトウス
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