「エシカル・ジレンマ」に対峙したとき、自分はどうするのだろうか、という考えてみる
(本日のお話 2163字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は5件のアポイント
ならびに夜は、尊敬する友人であり、
英語塾の先生でもある藤田勝利さんとミーティング。
彼は、米クレアモント大学院大学P.Fドラッカー経営大学院にて、
生前のピーター・ドラッカーに師事し、MBAを取得されました。
現在リーダーシップ教育に携わっており、
立教大学の講師や、日経ビジネスに連載をするなど、
もう私が逆立ちしても勝てないような能力、
そして「人格」を持つ素晴らしい方です。
※藤田さんプロフィール
http://project-initiative.com/katsutoshifujita/#fujitakatsutoshi
ちなみに彼は
「リーダーが、英語とリベラルアーツを学ぶ塾(IELLA)」という、
なんとも濃密かつ学びが深い英語塾もやっています。
最高に良い学びの環境です。
ご興味がある方はぜひ!(見学も可能です)
http://project-initiative.com/iella/
*
さて、そんな藤田さんと
今後「リベラルアーツ」について企業でのワークショップを実施するため
色々とディスカッションをしていたのでした。
その中で、最近のカルロス・ゴーン氏の話題を始め、
話が盛り上がったのですが、その中で彼から聞いた、
『エシカル・ジレンマ』
(=倫理的なジレンマ)
なる話が、大変印象的、かつ考えさせられる話で、
大いなる学びになったのでした。
本日はそのお話について、思ったこと、
感じたことを皆さまにご共有させて頂きたいと思います。
タイトルは、
【
「エシカル・ジレンマ」に対峙したとき、自分はどうするのだろうか、と考えてみる 】
それでは、どうぞ。
■以前、『半沢直樹』なるドラマが流行りました。
「倍返しだ!」
で有名なあのドラマですね。
大筋のストーリーとしては、
”腐った銀行(組織)に対して、
半沢直樹が、その正義感を元に戦っていく”
というお話でした。
皆さまもお感じ(かもしれない)組織あるあるの、
「なんだか、間違っている気がする、、、」
「上がやっていることはおかしい」
と感じる”倫理観・正義感”を大切に、
下剋上のように、上に噛み付いていく姿勢は、
現実においては正直難しい故に、
痛快で、惹きつけられたドラマになっていたのでは、
とも感じます。
■と、このお話を突然出したのは、
先日、上記でご紹介した藤田氏から聞いた話で
「エシカル・ジレンマ」という言葉を聞く中で、
ふと思い出したお話だったからです。
リベラルアーツ(教養)について学ぶ
ドラッカースクールにおいては、
『エシカル・ジレンマ』
というケースを、自分ごととして考える授業があるそう。
『エシカル・ジレンマ』とは、そのまま訳すと、
「エシカル(倫理的な)・ジレンマ(板挟み)」
という意味になります。
すなわち、
「倫理的にはNGかもしれない。
でも、やってもバレないだろう、、、」
みたいなシチュエーションで、
どのような選択を自分ができるか、
これを考えてみよう、という話なのです。
■他人事だったら、なんとでも言えるもの。
ことスキャンダルが起きたとき、
「あのやり方は卑怯だ」
「結局汚い奴なのだ」
「もっと信念を持って、仕事に取り組むべきだ」
「社内でも、間違っていることは
間違っていると言うべきなのに、残念だ」
、、、そう、”他人事”としては言えるのです。
しかし、
「もし自分だったらどうか?」
、、、それを深く考えてみたいのです。
■仮に、自分が、大手上場企業の、
「執行役員」だとします。
そして、おそらく自分が、
次の「常務取締役候補」として、
有望視されているようす。
しかし、ライバルもいるのです。
気は抜けない。
家では、尊敬する両親から
「◯◯会社の常務なんてすごいポジションが、
うちの家から出るなんて、本当に嬉しいわ」
と期待の声がある。
妻も、息子も、
お父さんの活躍を期待をしている。
自分も、この瞬間を目指して、
ずっと何十年も頑張ってきた。
、、、なんとしてでもこのチャンスは掴みたい。
専務からは、
「この仕事さえ上手くやり遂げたら、常務も確実だ。
役員も、皆そう思っているようだぞ」
と言われる。
*
そんな中で、上からある”お願い”が来た。
専務から、こう言われるのです。
「ちなみにね、この決算の数字なんだけど、なんとかならんだろうか?
あとは、君もいよいよ常務だな」
、、、と。
■例えばですが、そんな状況を想像してみたとき
「自分だったら、どうするか?」
を考えるのです。
自分のポジションが吹き飛ぶ可能性がある、
積み上げてきたものがなくなる可能性もある。
そんな中、倫理感に従って、
『社長、それは間違っています』
と言えるのだろうか。
そんな「エシカル・ジレンマ」に向き合ったとき、
本当に自分は、どんな行動を取るのだろうか?
倫理観を保てるのだろうか?
それとも、流されるのだろうか?
そんな答えなき問いを考えてみる。
それが、「ドラッカースクール」での、
『リベラルアーツ』での学びだった、
そんな話を、藤田氏から教えてもらったのでした。
■この話を聞いたとき、
正直、私も頭を抱えてしまいました。
(自分だったら、流されてしまうだろう)
そう思って、自分の卑怯さに、
なんだか残念な気持ちがしたのでした。
*
今、世を騒がすニュースで、
「どこまで求めればいいんだ」
「内部の自浄作用が働かないのは問題」
「経営陣は、社長の犬だ」
など、色々な声が上がったりします。
*
しかし、例えば上記のような
葛藤が起こりうるケースを考えたとき、
組織の構造として、
そして人間の真理として、
『エシカル・ジレンマ』
なるものが起こりうることを知り、
その時どうするかを深く考えること。
このことも、
”問題の本質を考える”
という上で、
大変重要なことではなかろうか、
と思うのです。
■いい、悪いで
シンプルに考えられたとしたら、
本当に素晴らしい。
でも人間は、色々な顔を持つ生き物で、
複雑な気持ちの中で揺れ動くというのも、
一つ事実です。
物事を単純化して、
安易に切り捨てるだけでは
解決にならないことだって、ある。
人の心を深く知ること。
深く探求すること。
それこそが、「過ち」を侵さないための工夫なのかもしれない。
ゆえに、
【「エシカル・ジレンマ」に対峙したとき、自分はどうするのだろうか、という究極の問い】
を自問し、自分を律する、律しようとすることが
とても大事なのではなかろうか、
そのように思った次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も皆さまにとって、素晴らしい1日になりますように。
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<本日の名言>
平和を欲するなら、戦争を理解せよ。
リデル・ハート
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