「学ぶほど、わからなくなるプロセス」を経て、知識は成熟し、学びは深まり、そして本質が見えてくるもの
(本日のお話 1763字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日金曜日は、個別コーチング6件。
夜は、友人のHRテックのベンチャー企業、
『株式会社ZENKIGEN』に会社見学へ。
https://zenkigen.co.jp/
「HARUTAKA(ハルタカ)」という
WEB面接/動画面接で採用力を強化するサービスを展開している、
今をときめくスタートアップですが、
今後の可能性、描く未来、
そして働くメンバーの尋常じゃない優秀さに、
大変刺激を受けた次第。
自分ももっと頑張らねば、
本当に、ちっちゃくやってる場合じゃない、、、
しかし、でかく挑戦することにビビっている自分もいる、、、
そんな葛藤を抱え、心の中で、足を震わせた夜でした。
*
さて、本日のお話です。
最近、「ストレングス・ファインダー」を含め、
各種ワークショップを行っています。
12月も、合計5回(現時点で)
のワークショップを企画しており、
”伝えること”
を通じて、自らが大変勉強になっていると感じる、
今日この頃です。
本日はそんなワークショップの
日々の運営を通じて、感じたこと、学んだことについて、
皆さまにご共有させて頂きたいと思います。
タイトルは、
【「学ぶほど、わからなくなるプロセス」を経て、
知識は成熟し、学びは深まり、そして本質が見えてくるもの】。
それでは、どうぞ。
■「学び」というものは、実は、
”学び始め”
が一番気持ちよく、
そして楽なものである、
と感じています。
というのも、
「学び始めたとき」
というのは、まだ情報も少なく、
かつ「基本」という名の、骨格の中心から知り始めるので、
物事がシンプルに見えるからでしょう。
ゆえに、自分の中の理解でも、
矛盾が生じにくい。
だから、
”気持ちが良い学び”
になりえるのだろうな、と思います。
■しかし、不思議なものです。
学べば学ぶほど、理解が深くなって、
ますます面白くなりそうなものなのに、
なぜだが学ぶほど、よくわからなくなってくるのです。
基本編→応用編、
応用編→超応用編
超応用編→番外編
となってくると、
その「情報量の多さ」にそもそも思考がついてこなくなる。
あるいは、思考が慣れてくることで
「より細かい部分」に意識が向く。
すると、これまで沸き起こらなかった疑問、
しかも、マニアックな、答えようにも答えづらい疑問が、
新たに湧いてくるのです。
すると、
「理解したつもりだったのが、理解していなかった」
「今まで理解していた気になっていた」
ということが、白日に下のにさらされるのです。
実は深い部分では、自分自身が
まだまだ学び切れていないことを、
目の当たりにされるのです。
■例えば、本日行った、
”ストレングス・ファインダー・ワークショップ(応用編)”
も、そう。
何度もワークショップを重ね、
以前の自分よりは知識も経験も身についていることは間違いない。
しかし、より細かい部分、
深い部分を問うていくと、
自分の中でも、更に、深い疑問が出てくるのです。
*
今日参加された方の質問でも、
こんな内容の話がある時に、思うのです。
・「未来志向」を活かすための、
具体的なアクションプランは、どんな種類があるのか?
・「運命思考」の扱い方の、ベストな方法とは?
・「原点思考」はどうやったら、”生産性”に寄与できるのか?
、、、などなど。
自分なりの答えがある、と思っていても、
口に出すと、まだまだ深いものがある気がする。
自分の中で、問に対して、
「揺さぶり」を感じるのです。
そして、まだまだ自分が、
「学びの途中」であることを知るのです。
■もちろん、特定の疑問には、
、
数学の方程式のように、
「1+1=2」のような、スッキリした、
誰しもに当てはまる答えは無いことも多いもの。
特に、「自己理解」のような、
”「心」「人間関係」のような人間ならではの問い”
については,
”納得解を探すプロセスそのものが答え”
という、なんだか雲を掴むようなモヤモヤした話自体が、
が答えだったりする、という側面もあります。
しかし、それでもなお、
安易にその答えに逃げずに、
・”他の人はこうしている”
・”自分の理解では、Aパターンと、
Bパターンと、Cパターンがある”
・”あなたの場合は、こうした方が良い”
、、、
というような、自分ならではの、
「圧倒的な、経験と実績」
に基づいた知見を提供できてこそ、実は
”本当に、深い部分まで考え抜き、理解している、
その道に本物のプロフェッショナルである”
と、胸を張っていえるのだろう、
そのように感じたのです。
■これは仕事のスキルであれ、
「学び」の特定の分野であれ、同じことでしょう。
どんな分野でも、
「入り口はシンプル」
なのですが、その道を突き進んでいくと、
ほとんどすべての場合において、
”「理解」が進むがゆえの、混乱”
”「学び」が深くなるがゆえの、葛藤”
”「知識」が増えるほどの、矛盾”
という、シンプルで片付けられない領域に、
必ず足を踏み入れるように思います。
しかしながら、そのプロセスを経ることで、
「学び」は本物になっていくし、
その経験がもたらすものも、
他の追随を許さない付加価値となっていくのであろう、
と思います。
ゆえに、シンプルなだけで理解しているうちは、
まだまだである、
【「学ぶほど、わからなくなるプロセス」を経て、
知識は成熟し、学びは深まり、そして本質が見えてくるもの】、
それを、”習熟度の一つの基準”、として捉えてみると、
またその世界のプロフェッショナルになるべく、指針となるかもしれない、
そう、感じます。
強い自戒を込めて、
改めて学びの旅路を続けていこう、
そう思った次第です。
本当に、簡単なことはないんだなあ、と思いつつ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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<本日の名言>
真理の大海は、すべてのものが未発見のまま、
私の前に横たわっている。
アイザック・ニュートン
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