「答えがでないモヤモヤ感」は、新たな創造と誕生の始まりである
(本日のお話 2231字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
金曜日から、2泊3日にて、
「日本アスペン研究所」なるリベラルアーツのワークショップに
参加をしてまいりました。
超大手金融機関の同世代の方、
外資系監査法人の、非常に優秀な方々と共に、
「対話に次ぐ対話」
をひたすら重ねた3日間でした。
今日は、そんな『古典』を読むことで感じた、
自分自身の内部の変化、気付きについて、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【「答えがでないモヤモヤ感」は、新たな創造と誕生の始まりである】。
それでは、どうぞ。
■東工大のリベラルアーツセンターの、
上田紀行先生(あの、池上彰さんの所属する東工大ですね)が
こんな話を言っていた言葉があります。
それが、
【今、私達に求められている力とは、
”「問い」を立てる力”である】
という話でした。
*
最近では新聞でもテレビでも、
よく耳にするようになった話ですが、
・「答えがある問題」に対して、計算し、解決するのは
「人」の行う仕事ではなくなってくる。
・AIに取って代わられる仕事が、
10年後には「5割」にものぼる。
ちなみに、人を使うより、「AI」を使ったほうが安上がり。
・AIができないことは、「問題が何か」探すこと。
ゆえに、私達には、「何が問題なのか?」を考える
”そもそもの【問いを立てる力】が求められる。
という文脈ですね。
■ちなみに少し、解釈を広げてみると、
便利になった世の中で、
時間が溢れたとしたら、
「我々はどのように働き、時間を使い、
どのように生きていけばよいのか?」
という、更に深い「問い」も、
考えざるを得なくなるようにも思えます。
*
しかし、日々毎日忙しく働いている私達にとって、
『問いを立てる』などやることもないし、
というか、そもそも現場でも求められてもいなかったりする。
(これはこれで、恐ろしいことですが、、、)
あるいは、
「そもそもの問題を見つける」
「答えなき問いを考える」
ということをチャレンジしようとしても、
そもそもどう考えたらいいのかが、わからない。
考えれば考えるほど、
「答えがない袋小路」に迷い込んでしまうようだ。
■そうやって
「考えても疲れるだけ」
「考えても答えは出ない」
であるならば、
「流れに任せて日々を”過ごして”いこう」
「とりあえず今は、求められたことをやっていこう」
となること、あるのではなかろうか、
、、、と思うのです。
■しかし、変化の足音は、
自分が意識せずとも、確実に近づいてきているのは、
紛れもない事実です。
だからふとした時に浮かぶ疑問が、
「10年後、今の会社どうなるんだろう?」とか、
「本当にこの仕事、したいんだっけ?」とか、
「自分が60歳になる時、暮らしていけるんだろうか?」
と思ったり、
もっと深く考えてみると、
「なんのために働いているんだっけ?」
とか考え始めたりすることも、
あるかもしれません。
しかし、上記のような「問い」は、
「そもそも答えはない」ことに掛け合わせて、
考えれば考える程、
・漠然と感じている不安
・見ないでおきたい懸念
・根本的な疑問
が湧いてきて、ただただ
『モヤモヤする』
ことにしかなりません。
答えがわからず、
「?」マークが頭にどんどん浮かび上がり、
その”モヤモヤ”を言語化することもできず、
意識の袋小路に彷徨いこんでしまう、
そんな感覚になってしまうことが、
往々にして、あるわけです。
■決して気持ちの良いものではなく、
スッキリも、しない。
ゆえに、
「このままじゃいけない」
と、どこかで思っていても、
特に考える短期的なメリットがないので、
『その疑問を取り出して、
面と向かって「答えなき問」を考えることはしない』
となること、結構あるのではなかろうか、
などと思ったのです。
でも、そういった
「答えなき問い」
とは、実は、根本的かつ、
大変重要な問いである、とも思うのです。
■私自身、今週末に、
「古典」
というものを3日間考え続け、
過去から「人間」が繰り返してきた、
”考え方”や”失敗のパターン”などを見つめてきました。
人はいつの時代も、
・「飽くなき欲求」を満たそうとし、幸せを見失い、
・「都合の良い情報だけ」を取り入れ、方向性を見誤り、
・「皆が言っていること」に踊らされ、
自分にとって大切なことを探求しない
・「自分の自由ばかり」を考えて、逆に皆で不幸になる
ということを、つい繰り返している事実を、
改めて肌身で感じたのでした。
そして、そんな事を考えていると、
自然とこんな疑問が浮かぶのです。
『自分にとって、最良な生き方とは何だろうかか?』
と。
・お金はどれくらいあればよいのか?
・余暇の使い方は?
・何を学びたい?なんのために学びたい?
・人との繋がりはどうしていきたいか?
・どれくらいリスクを取りたい?
・どう命を使いたい?
、、、
そんなことを、
『他人のバイアスをかけず、まっさらに考える』
(「他人のバイアス」をかけず、というのがポイント)
ことをしようとすると、
これまで決めてきた目標が、
「本当に、それが自分の、ぶれない目標なのだろうか?」
という、哲学的な疑問にぶち当たるのでした。
■皆様に、そのような
「モヤモヤした」ご経験があるかはわかりません。
それでも、一つ、思うことがあります。
もし、上記にお伝えしたような、
「答えなき問いに向き合うモヤモヤ」があるとしたら、
【それは成長の一つのプロセスである】
ということ。
このことは、確信をしているのです。
*
新しい学び、知識、考えが、
頭の中に飛び込むこと、それはすなわち
「秩序があった脳内」に、
「異質なもの」が飛び込むことです。
その過程で起こる変化とは、
「試験管」に入っていた化学物質の集合に、
情報、学び、気付きという、”新たな化学物質”が投入され、
内的な変化・変容が起こるプロセスに似ています。
目に見える「色」はすぐに変わらずとも、
その液体の中では、元素同士が結びつき、
新たなものが生まれようとしています。
そして、その元素と元素が混じり合うプロセスとは、
『混沌(カオス)な状態』であるのです。
■組織でも人でも、
”「破壊」があり「創造」がある”
のです。
前に流行った映画で『シン・ゴジラ』というのがありましたが、
ゴジラにめちゃくちゃにされた東京を見て、主人公の政治家がこう言っていたのを
思い出しました。
「日本は、「スクラップ&ビルド」(破壊と創造)で、何度も立ち上がってきた。
今回(破壊された今)、また立ち上がれるはずだ」
、、、と。
「迷い」「答えなきモヤモヤ」も、
『破壊』と、持つ意味は同義です。
「新たな学び・気づき」という刺激によって、
”『混沌』→「創造」”
というように、人間の成長でも、
新しいものが劇的に生まれる前には、
その均衡が崩れ、
『混沌とした状態』
が生まれ、それを通じて、
新たな変化変容、そして誕生があるということ。
このことを、客観的に
知っておくことが大事ではなかろうか、
そうすると「モヤモヤ」に意味付けができるようになる、
そして、どっしりと「モヤモヤ」できるのでは、、、
そのようにも思うのです。
■私も、この3日間、
過去の偉人賢人たちの考えに頭をかき回されたことにより、
”働くとは?”
”生きるとは?”
”どう己の命を使うのか?
という根本的な問いが頭から離れないでおりますが、
きっとこれが消化されたとき、
新たな自分に生まれ変わっているような気がします。
しばらく、考え続けていきたいと思います。
ということで、
【「答えがでないモヤモヤ感」は、新たな創造と誕生の始まりである】
というお話でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日も皆様にとってよい1日となりますように。
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<本日の名言>
簡単な道のほうが効果的で、早く成功できるかも知れない。
険しい道を進むのは努力が必要であり道のりも長い。
だが時が進むにつれ、最初簡単だった道はだんだんと難しくなり、
険しかった道は徐々に容易になってくる。
カーネル・サンダース
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