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1793号 2019年1月14日

「答えがでないモヤモヤ感」は、新たな創造と誕生の始まりである

(本日のお話 2231字/読了時間3分)

■こんにちは。紀藤です。

金曜日から、2泊3日にて、
「日本アスペン研究所」なるリベラルアーツのワークショップに
参加をしてまいりました。

超大手金融機関の同世代の方、
外資系監査法人の、非常に優秀な方々と共に、

「対話に次ぐ対話」

をひたすら重ねた3日間でした。

今日は、そんな『古典』を読むことで感じた、
自分自身の内部の変化、気付きについて、
皆様にご共有させていただきたいと思います。

タイトルは、


【「答えがでないモヤモヤ感」は、新たな創造と誕生の始まりである】。


それでは、どうぞ。


■東工大のリベラルアーツセンターの、
上田紀行先生(あの、池上彰さんの所属する東工大ですね)が
こんな話を言っていた言葉があります。

それが、

【今、私達に求められている力とは、
 ”「問い」を立てる力”である】

という話でした。



最近では新聞でもテレビでも、
よく耳にするようになった話ですが、


・「答えがある問題」に対して、計算し、解決するのは
 「人」の行う仕事ではなくなってくる。

・AIに取って代わられる仕事が、
 10年後には「5割」にものぼる。
 ちなみに、人を使うより、「AI」を使ったほうが安上がり。

・AIができないことは、「問題が何か」探すこと。
 ゆえに、私達には、「何が問題なのか?」を考える
 ”そもそもの【問いを立てる力】が求められる。


という文脈ですね。


■ちなみに少し、解釈を広げてみると、

便利になった世の中で、
時間が溢れたとしたら、

「我々はどのように働き、時間を使い、
 どのように生きていけばよいのか?」

という、更に深い「問い」も、
考えざるを得なくなるようにも思えます。



しかし、日々毎日忙しく働いている私達にとって、

『問いを立てる』などやることもないし、
というか、そもそも現場でも求められてもいなかったりする。

(これはこれで、恐ろしいことですが、、、)

あるいは、

「そもそもの問題を見つける」
「答えなき問いを考える」

ということをチャレンジしようとしても、
そもそもどう考えたらいいのかが、わからない。

考えれば考えるほど、
「答えがない袋小路」に迷い込んでしまうようだ。


■そうやって

「考えても疲れるだけ」
「考えても答えは出ない」

であるならば、

「流れに任せて日々を”過ごして”いこう」
「とりあえず今は、求められたことをやっていこう」

となること、あるのではなかろうか、

、、、と思うのです。


■しかし、変化の足音は、
自分が意識せずとも、確実に近づいてきているのは、
紛れもない事実です。

だからふとした時に浮かぶ疑問が、

「10年後、今の会社どうなるんだろう?」とか、

「本当にこの仕事、したいんだっけ?」とか、

「自分が60歳になる時、暮らしていけるんだろうか?」

と思ったり、
もっと深く考えてみると、

「なんのために働いているんだっけ?」

とか考え始めたりすることも、
あるかもしれません。


しかし、上記のような「問い」は、
「そもそも答えはない」ことに掛け合わせて、

考えれば考える程、

・漠然と感じている不安
・見ないでおきたい懸念
・根本的な疑問

が湧いてきて、ただただ

『モヤモヤする』

ことにしかなりません。

答えがわからず、
「?」マークが頭にどんどん浮かび上がり、
その”モヤモヤ”を言語化することもできず、
意識の袋小路に彷徨いこんでしまう、

そんな感覚になってしまうことが、
往々にして、あるわけです。


■決して気持ちの良いものではなく、
スッキリも、しない。

ゆえに、

「このままじゃいけない」

と、どこかで思っていても、
特に考える短期的なメリットがないので、

『その疑問を取り出して、
 面と向かって「答えなき問」を考えることはしない』

となること、結構あるのではなかろうか、
などと思ったのです。


でも、そういった

「答えなき問い」

とは、実は、根本的かつ、
大変重要な問いである、とも思うのです。


■私自身、今週末に、

「古典」

というものを3日間考え続け、

過去から「人間」が繰り返してきた、
”考え方”や”失敗のパターン”などを見つめてきました。

人はいつの時代も、

・「飽くなき欲求」を満たそうとし、幸せを見失い、

・「都合の良い情報だけ」を取り入れ、方向性を見誤り、

・「皆が言っていること」に踊らされ、
  自分にとって大切なことを探求しない

・「自分の自由ばかり」を考えて、逆に皆で不幸になる

ということを、つい繰り返している事実を、
改めて肌身で感じたのでした。


そして、そんな事を考えていると、
自然とこんな疑問が浮かぶのです。

『自分にとって、最良な生き方とは何だろうかか?』

と。

・お金はどれくらいあればよいのか?
・余暇の使い方は?
・何を学びたい?なんのために学びたい?
・人との繋がりはどうしていきたいか?
・どれくらいリスクを取りたい?
・どう命を使いたい?

、、、

そんなことを、

『他人のバイアスをかけず、まっさらに考える』
(「他人のバイアス」をかけず、というのがポイント)

ことをしようとすると、
これまで決めてきた目標が、


「本当に、それが自分の、ぶれない目標なのだろうか?」


という、哲学的な疑問にぶち当たるのでした。



■皆様に、そのような
「モヤモヤした」ご経験があるかはわかりません。

それでも、一つ、思うことがあります。

もし、上記にお伝えしたような、
「答えなき問いに向き合うモヤモヤ」があるとしたら、


【それは成長の一つのプロセスである】


ということ。

このことは、確信をしているのです。



新しい学び、知識、考えが、
頭の中に飛び込むこと、それはすなわち

「秩序があった脳内」に、
「異質なもの」が飛び込むことです。


その過程で起こる変化とは、
「試験管」に入っていた化学物質の集合に、
情報、学び、気付きという、”新たな化学物質”が投入され、
内的な変化・変容が起こるプロセスに似ています。

目に見える「色」はすぐに変わらずとも、
その液体の中では、元素同士が結びつき、
新たなものが生まれようとしています。

そして、その元素と元素が混じり合うプロセスとは、
『混沌(カオス)な状態』であるのです。


■組織でも人でも、

”「破壊」があり「創造」がある”

のです。

前に流行った映画で『シン・ゴジラ』というのがありましたが、
ゴジラにめちゃくちゃにされた東京を見て、主人公の政治家がこう言っていたのを
思い出しました。

「日本は、「スクラップ&ビルド」(破壊と創造)で、何度も立ち上がってきた。
 今回(破壊された今)、また立ち上がれるはずだ」

、、、と。

「迷い」「答えなきモヤモヤ」も、
『破壊』と、持つ意味は同義です。

「新たな学び・気づき」という刺激によって、


”『混沌』→「創造」”


というように、人間の成長でも、
新しいものが劇的に生まれる前には、
その均衡が崩れ、


『混沌とした状態』


が生まれ、それを通じて、
新たな変化変容、そして誕生があるということ。

このことを、客観的に
知っておくことが大事ではなかろうか、

そうすると「モヤモヤ」に意味付けができるようになる、
そして、どっしりと「モヤモヤ」できるのでは、、、

そのようにも思うのです。


■私も、この3日間、
過去の偉人賢人たちの考えに頭をかき回されたことにより、

”働くとは?”
”生きるとは?”
”どう己の命を使うのか?

という根本的な問いが頭から離れないでおりますが、
きっとこれが消化されたとき、
新たな自分に生まれ変わっているような気がします。

しばらく、考え続けていきたいと思います。

ということで、


【「答えがでないモヤモヤ感」は、新たな創造と誕生の始まりである】


というお話でした。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本日も皆様にとってよい1日となりますように。

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<本日の名言>


簡単な道のほうが効果的で、早く成功できるかも知れない。
険しい道を進むのは努力が必要であり道のりも長い。
だが時が進むにつれ、最初簡単だった道はだんだんと難しくなり、
険しかった道は徐々に容易になってくる。

カーネル・サンダース

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