「勇気ある対話」が、変わらない今を打破する武器になる
(本日のお話 2556字/読了時間4分半)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、自宅にて『64(ロクヨン)』なる映画を鑑賞。
(4時間もありましたが、あっという間でした)
またその他、読書を2冊。
そして、やたら眠かったのでゆっくり昼寝など。
久しぶりに家から出ずに、のんびりとして、かなり英気を養われた1日でした。
*
さて、本日のお話です。
先日、映画『64』を見ていて思ったのですが、
“「自己開示」とは人間関係を打破する最大かつ最強の手段ではないか”、
と強く感じました。
今日は映画『64』からの気づきについて、皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【「勇気ある対話」が、変わらない今を打破する武器になる】。
それでは、どうぞ。
(※一部、映画『64』のネタバレがあります)
■『64』(ロクヨン)という映画。
あらすじは、以下の通り。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
たった7日間しかなかった昭和64年。
昭和64年に発生した少女誘拐殺人事件、通称「ロクヨン事件」。
未解決のまま14年が経ち、時効まであと1年に迫った平成14年。
警察庁長官による現場慰問が行われることとなり、
D県警では被害者の父、雨宮芳男との交渉が進められていた。
交渉を担当していた県警警務部広報官 三上(佐藤浩市)は、
警察を全く信用せず慰問を受け入れない雨宮の態度に疑問を抱き、
独自で「ロクヨン事件」を調べ始める。
持ち上がる警察内部の隠蔽工作、謎。
時を同じくして「ロクヨン事件」を摸倣した誘拐身代金事件が発生し、
二つの事件は複雑に絡み合っていく。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
、、、とのこと。
14年前起こった、誘拐事件で娘を殺された父。
そして同じ事件を模倣した誘拐事件の勃発。
その2つの事件と繋がりがある、警察内部の隠蔽工作。
同時並行で、物事が絡み合い、進行するミステリーに、
4時間という長編映画にもかかわらず、全く飽きることになく観ることができる超大作です。
■さて、そんな『64』。
非常に面白いので、是非観てください、という話は話として、
私がとても心打たれたシーンがありました。
それが、
”「警察の広報室」VS「記者クラブ」の対立”
のワンシーン。
同じ人間同士、事実を世に伝えるという共通の目的があるはずなのに、
そして、話し合えば分かるはずなのに、お互いの利害をぶつけ合い、平行線をたどり続ける、、、
そんな場面です。
そこで行き詰まったとき、佐藤浩市演じる「県警警務部広報官 三上」が、
秘書課の女性からこう言われるのです。
「戦略では動きません。彼ら(記者クラブ)を信じてあげてください」
そして、その後、意を決した三上が自分自身のクビを賭けて、
ある事実を記者クラブに打ち明けます。
「部屋の中からじゃ、この窓は開けられない。
開けるには、自分が外に出て開くしかないんだ」
、、、そうつぶやきながら。
そして、記者クラブに足を踏み入れ、1人対峙します。
そして、激昂する記者クラブに対して、語気を強め、こう語るのです。
「俺は、県警を脱ぎ捨ててここに来ている。
その俺を信用できるか、見極めてくれと言っている!」
(中略)
俺はクビを賭けてここに来ている。
話聞くくらい、聞いてもいいんじゃないか。
俺は話すべきことは全て話した。それでも、ダメなのか!
県警は汚いから、信用できないから俺とは握手ができないか。
話を白紙に戻して、そしてイチからこの不毛な争いを繰り返したいのか?」
、、、そして、息巻いていた記者クラブに、
はっとさせられる空気が流れるのです。
そして、このシーンの中に、
あらゆる人間関係の軋轢を打破するための、
とても大切なメッセージが含まれていたように、私は思えたのです。
■人は誰もしも、「自分が守りたい領域」があるもの。
演じている自分を否定されたり、守っている自分を否定されても、
それは、鎧を来ている状態です。
でも、自分の本音をさらけ出して、
繊細な心の奥を曝け出してぶつかることは、
何も守らず、裸で対峙することになる。
それは、深く傷つくリスク、恐怖を伴います。
とても大きな「勇気」が必要になるのです。
しかし、その怖がりながらも本音をぶつけ、
リスクを賭して、ぶつかっていくその心情は誰もが想像に固くない。
ゆえに、
『勇気ある対話』
こそが、相手の心を動かしうる、
唯一無二の武器なのではなかろうか、、、
そんなことを感じたのです。
■これは私の価値観かもしれません。
しかし、研修などをする中で出会うほとんど全ての人は、
”より良くなりたい”
”誰かの役に立ちたい”
”より達成感を味わいたい”
という、前向きかつ肯定的な気持ちを心の奥では思っているものです。
だから、ただのエゴではなく、
肯定的な何かしらの想いを胸にぶつかっていけば、
組織や人間関係にありがちな硬直的な状態も、打破しうるきっかけになるのでは、、、
綺麗事と聞こえるかも知れませんが、
そんなことを『64』の映画を見て、しみじみと感じたのでした。
■この話を補足する上で、1つ紹介したいお話があります。
それは人材開発の世界で有名な
『ジョハリの窓』という心理学のモデル。
これは、他者との関係を深め、自己理解を深めるための、1つの考え方です。
※参考:「ジョハリの窓」
https://jinjibu.jp/keyword/detl/736/
その「ジョハリの窓」の中で、
「自分が知っている。でも他人は知らないこと」の領域を、
【秘密の窓】と呼んでいます。
この「秘密の窓」を開き、「自分だけが知っている自分の姿」を、他人に曝け出すこと。
これは、相手との関係のステージを一段高めることに繋がると言われています。
しかし、「自分だけが知っている自分」を曝け出すこと、
すなわち「自己開示」には、先程お伝えした『勇気』が必要なのです。
曝け出す怖さがある、否定される恐ろしさもある。
でも、それを行うことで、お互いの距離も密接に、
関係の深さもより深くなり得るのです。
相手に自分のことを、知ってもらえるのです。
【勇気ある対話】が人を動かします。
何かを隠しているとき、相手にも伝わります。
「自分だけの秘密の窓」を外に出て、開けること。
それこそが、現状を変える武器になるのではなかろうか、
だからこそ、『曝け出す勇気』を持つことが、とても大事ではなかろうか、
そして、
【「勇気ある対話」が、変わらない今を打破する武器になる】、
そんなことを名作の映画から、強く感じた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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<本日の名言>
あなたが遠慮しても世界には役に立たないのだ。
まわりの人が気後れしないようにと、
あなたが身を縮めることは何の美徳でもない。
ネルソン・マンデラ
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