フルマラソンの出場で思う「奇跡はなく、その日までの過ごし方がすべてを決める」という話
(本日のお話 2958字/読了時間4分)
■こんにちは。紀藤です。
日曜日は、「板橋cityマラソン」に参加してきました。
1年ぶりのフルマラソンの出場。
練習をする時間もほとんどありませんでしたが、
100キロウルトラマラソンこれまで3回も走っているし
トライアスロンもしているし、1年前はサブ3.5(3時間半切り)だったので、
サブ4くらいはなんとかなるだろう、と思いつつ出場をしたのでした。
しかしながら、結論をお伝えすると
予想以上に厳しく、結果も予想していたものよりも大幅に下回るものでした。
今日はそんな昨日のフルマラソンの経験を経て思った気づきについて、
皆様にお伝えさせていただきたいと思います
タイトルは、
【フルマラソンの出場で思う「奇跡はなく、その日までの過ごし方がすべてを決める」という話】
それでは、どうぞ。
■ 3月17日(日)。
約1年ぶりに、フルマラソンのレースに出場しました。
私のフルマラソンの軌跡を振り返ってみると
1番最初にフルマラソンに出場したのは、10年ぐらい前だったと思います。
友達と「一度出てみようよ」、と言うノリでスタートし、
1番最初のタイムは5時間30分位でした。
その後、ずっとフルマラソンに参加することはなかったのですが、
本格的に火がついたのは4年ほど前。
私の持病のアトピーで激烈に悪化し、苦しんでいる最中、
「完治させるためには運動で汗をかくことが良い」ということで、
”ランニング”が習慣になり始めました。
■「せっかく走っているのだから目標も持とう」ということで、
当時仲間の間で流行っていた100マラソンに私も参加することに。
そこからは、「走れば走るほど速くなっていく自分」に気づき、
毎週10キロ20キロ30キロ、と走りまくっていました。
2018年、自己ベストを出した3時間22分の前後は、
自分が”馬”みたいに思えていました。
走ることは移動手段のように思えて、
深夜電車がなくなった時、大森から、赤羽まで25キロくらい、
深夜走って帰った日もありました。
その後、日本一ハードな100キロマラソンと言われる、
「野辺山ウルトラマラソン」でも、仲間の間では1番速いタイムで二連勝できましたし
「自分はマラソンは結構いけるな」なんて、自信を持っていた(調子乗っていた)のでした。
■そんな過去の栄光がありましたので、
昨日の板橋cityマラソンも、ほぼ練習が皆無の状況でしたが、
「まあ、なんとかなるだろう」「サブ4(4時間切り)くらいはいけるだろう」ということで、
本当に何の準備もなく、突入しました。
スタートが近所だったので、自転車でスタート会場に行き、
さあいっちょ走るか、そしてサブフォーでも目指しておくか、
くらいのノリで参加したのでした。
*
フルマラソンは、最初は楽なのです。
ゆえに、私も、1キロ当たり5分くらいのペースで走ります。
1年前前は1キロあたり4分40秒のペースで走っていたので、
5分ちょっとのペースであればさほど厳しくはありません。
そのため、「まぁ気合で何とかなるだろう」と言うことで淡々と走り、
25キロ、26キロ、27キロと重ねていき、このままいけるかな、そんな予感もしていました。
■しかし異変が起こったのは28キロ地点。
急に右腿に震えが来たと思ったら、太ももが痙攣し始め、
ちょっとでも走ろうとすると足がつると言う状況が続き、
どうしようもなくなってしまいました。
痛みであれば気合で乗り越えられるのですが、
筋肉が痙攣し始めると、足が制御不能になるので、
前に進むことができなくなってしまいます。
とはいっても、DNF(=Do Not Finish)、すなわちリタイヤする事はしたくなかったので、
あと14キロ何とか進もうと考え、自分の太ももを思い切りマッサージをしつつ、
誤魔化し誤魔化し本当に亀のようなペースで進みます。
ほぼ95%の人に抜かされながら、
走りながら(早歩きみたいなもの)、いろいろと考えます。
(何がいけなかったんだろうか?)
(最初に飛ばしすぎたからだろうか?)
(アミノ酸など事前準備をするの忘れたから?)
(途中にあった補給の梅干しをとっておけば痙攣はなかったかも)
、、、
そう思いながら、右足をかばいながら走っていた結果、
左足も攣り始め、足を「前に出そう」とするのに、
何故か足が「右に出る」という、足の動作異常も起こり始めます。
■しかしながら、まだ動く。
そしてあと5キロ。
ですので、ただただ前に進もうと思い、
ひたすら走り、息も絶え絶え、ゴールしたのでした。
タイムはここで書くのも憚られるほど、
個人的に恥ずかしく感じる記録です。
今まで走るたびに自己ベストを塗り替えてきましたが、
去年より1時間以上、遅くなってしまったのですから。
■28キロ地点からは、
本当に苦行としか言えないようなレースでした。
去年や一昨年参加した100キロマラソンと比べても、
「どうしようもならない」という精神的な苦痛を含めると、ずっと辛いレースでした。
マラソンは、それが40キロだろうが、
100キロだろうが、長ければ辛いと言うわけではないのだ、
そんな感想も持つレースでした。
*
しかし、1番強く思った感想は、
『結局、自分の準備不足がそのまま現れただけである』
この一言に行き着きました。
・アミノ酸が足りなかった、
・ペースが早すぎた
・コンディションを整えておけばよかった
これらはすべて「後付け」です。
本質的なことではありません。
結局、「ちゃんと練習をしていなかった」、
その現状がそのまま現れただけなのです。
マラソンは、「努力と結果の相関関係」が、特に顕著なスポーツです。
何歳から初めても、50歳から初めても、
60歳から始めても、不思議とやればやっただけ、
タイムが伸びる、不思議な種目です。
ゆえに、仕事が忙しかった、他にやるべきことがあった、
そんな数多の言い訳はあるにせよ、
「練習をしていない自分」をただただ突き付けられた、
そんなレースだったのでした。
■しばしば、少年漫画などでありがちな、
さして練習をしていない主人公(でもポテンシャルはすごく持っている)が、
怒りや、悔しさや、感情の爆発で、驚異的な能力を発揮し、
強くなる、すごい記録を出す、みたいな場面がありますが、
実際の現実では、そのような話はないのでしょう。
ポテンシャルも、磨かねば、結果にはつながらない。
「結局、積み重ねてきたものがそのまま現れる」
のです。
これが全てにおける原則ではないか、
そのように私は思います。
それは、マラソンだけではなく、あらゆることに通じます。
受験勉強だってそうでしょうし、
プレゼンに向けた準備もそうでしょうし、
ピアノの発表会や、英語の勉強や、
その他仕事のプロジェクトも、
同じようなことが言えるのでしょう。
ゆえに、大切なこと、結果を出したいのであれば。
日々、粛々と続けること。
1枚1枚、薄紙を積み重ねるように、練習、努力を続けること。
地味な時間です。
でも、誰も見ていないところで何をするかが、
これが成否を決めるものです。
今回のフルマラソンでその大切なことを、
改めてその大切なことを思い出させられた、
そんな気がしています。
ふと気付けば、5月末には4回目の100キロマラソンの出場。
少し落ち着くので、少なくとも練習不足で、
連続完走記録が途絶えてしまった、ということにならぬよう、
練習を再開したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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<本日の名言>
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、
小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ
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