「礼法のストーリー」を知ると、礼儀・作法が自然と身につく
(本日のお話 2463字/読了時間3分半)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は1件の組織コンサルティング、
ならびに2件のアポイントでした。
また夕方からは、前から気になっていた「礼法」について、
プライベート体験レッスンを受講してまいりました。
*
さて本日の話です。
昨日「礼法」について学んだ、とお伝えしましたが、
「礼儀・作法」というのは、なんだかんだで大切なことですよね。
少なくとも、できていて損はない教養です。
しかし、誰もが正しいやり方を知りたいと思いつつ、
意外と知らないものではないでしょうか。
今日は、そんな「礼法」から学んだことについて、
皆様に気づきをご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【「礼法のストーリー」を知ると、礼儀・作法が自然と身につく】。
それではどうぞ。
■「礼儀・作法」について、私は詳しい、
あるいは普段からかなり意識している、という方、
どれぐらいいらっしゃるのでしょうか。
個人的な感覚では、
「最低限知ってはいるけど、ちょっと自信がない」
という方が、ほとんどではないかと思います。
(私もその一人です)
実際、先日の礼法の先生曰く、
多くの経営者やビジネスパーソンが、
・誰かと料亭で食事をする際
・知人や友人の自宅にお邪魔する際
・法事などの行事の際
等に、自分の振る舞いを省みては、
「、、、実際これでよいのだろうか?」と困惑する、
あるいは困惑まではしないけれど実は自信がない、、、
という相談を受けるそうです。
やっぱり皆、気になっているのですね。
■そんな「礼法」について、講師の方から、
面白いお話を教えて頂いたのでした。
それが
【礼法は、そのストーリーを知れば、自然とできるようになる】
という話なのでした。
■ちなみに話が少し脱線しますが、そもそも「礼法」とは何か。
それは儀式や礼式の作法の、そもそもの源流だそう。
その後、人間同士の礼節作法が含まれるようになって、今の礼儀作法に繋がっているとのこと。
そんな「礼法」がいつ生まれたのかというと、
その背景は「鎌倉時代」に遡るといわれます。
それまでは「朝廷」と言われるように、
天皇・上皇・公家などの貴族が支配していた世の中を、
武士が「鎌倉幕府」をつくり政権が変わったのです。
その中で、弓術・馬術と並び、
「礼法」も武士が身につけるべき必須のスキルとなったのです。
争い事を避けるため、平和な世の中を続けるため。
あるいは、田舎武士(とあえていってしまいますが)
貴族の振る舞いを身につけようとしてのかもしれません。
いずれにせよ、室町時代には、足利義満の命令で「礼法書」が編纂され、
江戸時代には、幕府公式の寺子屋で日本全体に広がっていき、
「日本人全体のの道徳観」にも繋がっていった、と言われているのです。
つまり、日本人である私達は「礼法」を切っても切り離せない関係にある、
といっても過言ではないでしょうし、
【「礼法(礼儀作法)」を知るということは、
日本の歴史を知り、文化を知り、教養を身につけること】
とも言えるののでしょう。
■そして、その「礼法」には、
なんとなくできたものではなく、背景にはきちんと理由があるわけです。
それが、先述でお伝えした、
そして今日一番お伝えしたい、
【礼法のストーリー】
なのです。
例えば、「畳の上では普通は歩かない」というお作法があります。
あるいは「畳には素足で上がらない」というお作法があります。
または、「座布団は踏まない」というお作法もあります。
聞いたことがある人もいれば、いない人もいるでしょうが
上記の内容は「正式な和室のルール」と言われます。
では、なぜこれらの「礼法」ができたのか?
これらに共通するストーリーとは、何なのでしょうか?
、、、
その答えは、
『昔、畳は高価なものであり洗うことができなかった。
汚れた足の裏で、その貴重なものを踏むということは無礼にあたる』
ゆえに、畳の上では歩かないし、素足で上がってはいけないのです。
■座布団も同様です。
座布団は位が高い人だけが持つものであり、
中には綿ではなく絹が入っていました。
すなわち、今のやすい座布団ではなく、当時座布団とは大切な財産だったのです。
それを、大切な客人に差し出していただいた。
それを”足の裏で踏みつける”ということは、確かに失礼にあたる、、、
そんな”ストーリー”に繋がってくるのです。
財産を、大切なものを足で踏みつけてはいけないのです。
■また、別の「礼法のストーリー」では、こんなものもあります。
「玄関に上がる時に、(靴を揃えるのが面倒くさいから)
後ろ向きで靴を揃えて上がる」
という人がいます。
これを、礼法的にどう考えるのか?
結論、「後ろ向きで玄関に上がる」のは失礼な行為になります。
それは、なぜか。理由は、
『これからお邪魔する相手のご自宅に対して、お尻を向けながら上がる』ことは、
失礼に当たるからです。
もっといえば、靴を揃えるために屈んだときも、その家の方にはお尻を向けないようにするのです。
それも、相手への敬意を表すのです。
つまり『相手への敬意を払うための行為』として、
細かい礼法と、その背景のルールがあるわけです。
■昨日の小笠原流の礼法の先生は、こんな事を言っていました。
「正直、そんなところまでみている人は、今の時代ほとんどいません。
だから、そこまで気にする必要はないのかもしれません。
でも、見る人がみればわかりますし、その所作に相手への敬意を持ち行うということは、
やっぱり相手にも伝わるものだと思います」
、、、と。
こんな「おしえ歌」ががあります。
『水は、方円(ほうえん)の器に随う(したがう)こころなり』
器が四角(方)であれば、水は四角になる。
器が丸であれば、水も丸くなる。
相手を尊重し、相手の存在と、相手の大切にしていることを、
自分と同等、それ以上に大切にすること。
相手の器に併せ、自分が形を変えるのです。
それが日本人のこころであり、道徳観であり、
『和の精神』と呼べるのかもしれません。
■新入社員がたくさんはいる4月。
新人でありがちな、
「名刺を、相手に先に受け取らせる合戦」
「名刺を、より下から出そうとする合戦」
みたいなマナーを履き違えた行動をする場合がありますが、
それは「礼法」の表面だけ見ていることの典型です。
相手を思いやるのでなく「自分が謙遜したいからやっている」というエゴの表出にしかすぎないことは、
「礼法のストーリー」を理解していないためです。
”ストーリーを理解していない礼法”は、ただの魂のない器になってしまうのです。
■私がわざわざここで言葉にせずても、
皆様、重々理解のことかもしれません。
ただ、私はこれらの話を先生から聞き
「本当にそのとおりだなあ」といたく感銘を受けました。
「礼法のストーリー」を知ると、「日本のこころ」を知ることができます。
それはこのグローバル社会においても、日本人としての尊厳を伝える一つ手段にもなり得ると感じます。
それは、一つの、大きな教養です。
その他にも、
・なぜ、いつから「正座」という座り方が始まったのか? というストーリー
・日本の旅館で、姿が見えなくなるまでお見送りすることのストーリー
・武道の「残心」のストーリー
にも、それぞれ興味深い話がありますが、それらの話はまたいつか。
世界にはなく、日本という、独自性の強い文化だからこそ生まれた礼法。
和の精神の表出として、行為に基準を設けたのが「礼」。
一挙手一投足に一つずつ意味を持たせる、
その行為を通じて相手への尊重の気持ちを具現化させる。
【「礼法(礼儀作法)」を知るということは、
日本の歴史を知り、文化を知り、教養を身につけること】。
そんなことを小笠原流の礼法の先生から、学んだ次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
礼道の要は心を練るにあり。
礼を以て端座すれば、兇人剣を取り向ふとも、
害を加ふること能わず。
新渡戸稲造『武士道』より
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ディオゲネス
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